滝沢馬琴編『兎園小説』第十一集「虚舟の蛮女」より

うつろ舟の蛮女(兎園小説版)

 享和三年春、二月二十二日の午後のことだった。
 そのころは寄合席であった小笠原越中守の知行所、常陸の国のはらやどりという浜で、沖はるかに舟のようなものが見えたので、土地の漁民たちがたくさんの小舟を漕ぎ出して、それを浜辺まで引いてきた。

 その舟の形は香の入れ物のように感じの円形で、直径は六メートルほど、上部はガラス張りで、松ヤニを用いて塗り固めてあり、底は鉄板を連ねて張って、岩に衝突しても壊れない頑丈な造りであった。
 上はガラスだから、中がよく見える。皆が覗き込むと、異様な風体の女が一人入っていた。
 眉と髪が赤く、顔色は桃色、白い付け髪を長く背中に垂らしている。付け髪は獣毛か撚り糸か、ちょっと見当がつかなかった。まったく言葉が通じないので、どこから来たのかと問うこともできない。
 女は六十センチ四方ほどの箱を持っていた。その箱を特に大事にしているようで、片時も離さず、人をも近づけない。
 そのほか舟の中には、水が四リットルほど入った瓶、敷物二枚、菓子のようなもの、それに肉を練ったらしい食物があった。
 これはどういうことだろうと、皆があれこれ話すのを、女はぼんやりと見ているばかりである。

 一人の古老が言った。
「これは、蛮国の王女であろう。嫁に行った先で、密夫のいるのが露見したのだ。男のほうは処刑されたが、この女は王女だから殺すのがためらわれて、この虚舟(うつろぶね)に乗せて流し、生死は天に任せたのではないか。
 とすると、あの箱の中身は密夫の首かもしれぬ。その昔にも蛮女を乗せた虚舟が、近くの浜辺に漂着したことがあった。舟の中には、俎板(まないた)のようなものに載せた生々しい人の首があったという。この言い伝えから考えても、箱の中身はそういった類いだろう。だから、あの女が愛着して肌身離さないのだ」

 さて、この事件を公の役所に届け出ては、後の調べのための雑費の負担がひととおりではない。一同相談のうえ、このようなものを突き流して隠密裏に処理した先例もあるからと、女をもとのとおりに舟に乗せ、沖に引き出して押し流してしまった。
 もし思いやりの心というものがあったら、そんなことはしないのだが、情けのない人々に遭ったのが蛮女の不幸というものだ。

 なお、舟の中に書かれた蛮字が記録に残っているが、近ごろ浦賀の沖に投錨したイギリス船にも同じものがあったのである。それでは、かの蛮女はイギリスの者か。もしくはベンガラ、アメリカなどの蛮人の王の娘なのか。
 これまた、わからない。当時の好事家が写して伝えたものは、図も説明もおおざっぱで具体的でないのが残念だ。よく知っている者がいたら尋ねたいところである。
あやしい古典文学 No.216