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只野真葛『奥州ばなし』「七ヶ浜」より |
ほうそう婆 |
文化年間のはじめ、蝦夷松前に出兵があった当時のことである。 陸奥の国、七ヶ浜の大須というところで疱瘡(ほうそう)が流行して、罹った者の大半は死んだ。そのとき、何ものであろうか、あちらこちらの墓を掘って、死体を喰らうものがあったという。 前代未聞のことゆえ、土地の者が寄り合って、死んだ子供の冥福を祈るため、また悪魔除けのためと、祈祷などして、ずいぶん大きな角塔婆を峠の上に立てた。 ところが、下を大石で固めたこの大塔婆が、夜のあいだに引き抜かれ、石を投げのけて土を深く掘り返されていた。 どんな怪力の化け物の仕業かと言い合ったが、それから疱瘡の流行はいっそう激しく、一日に死者が何人も出るようになった。 新たに土を掘って埋葬した死者は、掘り返され、喰われないということがない。子を亡くした親は嘆き憂えて、たいそう重い石を墓に置いたが、取り除けて喰ってしまう。 喰われた後には、着せた着物が残っているだけである。骨も髪も跡形ない。ただ手首を一つ石の上に残していたこともあって、誰もかれも、さかんに恐れ騒ぐばかりであった。 雨のあとに墓地に行くと、足跡とおぼしいものが残っていた。人の腕を押しつけたような形で、三十センチあまりの長さ。これによって化け物の大きさも想像できた。 また、狩人が獲った鹿を、皮をはいで戸外に置いていたら、一晩のうちに骨まで喰っていた。これは、猪やムジナの仕業ではない。ずいぶん大食らいのやつだというので、皆いちだんと恐れるようになった。 そのころ、誰が言うともなく、 「疱瘡婆というものが徘徊して、死人を喰らうために、重く病ませて人を殺すのだ」 という噂が広まって、役所に鉄砲撃ちの派遣を願い出たりした。 そうするうち、土地の庄屋をつとめる者の息子三人、年は十五、十三、十一であったが、一度に疱瘡に罹り、たった一晩のうちに死んでしまった。 父親は気が狂ったようになり、 「死んだことはもう仕方ない。だが、わが子の死体をむざむざ化け物に喰わせてなるものか」 と、一ヶ所に埋め、十七人がかりでやっと持てる平たい大石を上に置いた。松明を左右に立て、番人をつけ、さらに熟練の猟師を二人、一夜百疋で雇って守らせた。 その猟師が言うには、 「このように明るくては、化け物はやってきません。暗くして、二人で見回り、見つけたら撃ちましょう」 その意見を入れて、火を消しておいたところ、真夜中になって土を掘るような音が聞こえてきた。 「やっぱり来た」 と、そっと近づこうとしたものの、今までの化け物の行状を思うとさすがに恐ろしく、二人ひとかたまりになって近寄って見ると、闇夜のため色目は見分けもつかないが、何ものかがいて、動いているようだ。 隠し持っていた火縄銃を取り出したとき、そいつは気づいて身を翻し、柴山を分けて逃げ去った。翼こそないが飛ぶがごとく、シューと音がして柴木立の折れつぶれる音も凄まじく、巻き起こった風で二人の猟師もよろめくほどであった。 十七人がかりで運んだ大石も取り除けられていたが、番人がその音を聞かなかったのは、石を木の葉のように軽々と動かしたからだろう。その力のほどが知られる。 しかし、親の一念が通じたのか、埋めた子は喰われなかった。 夜が明けてから、その逃走した跡を辿ると、四五メートルの高さの柴木立が左右に押し分けられている様子は、なんとも物凄い。今までそうした跡は残してなかったのだが、火縄におびえて逃げまどったために、このように荒らしたのだろう。 その後、この怪物が墓荒らしに来ることはなかった。 柴が押し分けられた跡は、二三年のうちははっきり残っていたという。 同じころ、町に市の立つ日に二人連れの女が用足しにやって来て、そのうちの齢五十ばかりの女が突然、ものに脅えた様子で気絶した。 市にいた人々が薬よ水よと介抱し、やっと息を吹き返したのを、もう一人の女が連れ帰ったが、いったい何があったのか、そのとき知る人はいなかった。 三年を経て後、気絶した女が語った。 「あのとき、ふと向かいの山を見ると、身の丈三メートルを超すような獣が、大木の切り口に腰をかけていた。頭には白髪がふさふさとして山の風に吹き乱れ、顔の色は赤くて、面つきは老婆のようだった。眼がぎらぎらと光って、恐ろしいこと言いようもなかった。これこそ死人を掘り出して喰らう獣じゃないか。そう思うやいなや、五体がすくんで気が遠くなったのだが、そのことをすぐに話したら身に災いが降りかかるかもしれないという気がして、黙っていた。今は獣の通った跡さえ見えなくなったので、こうして話すのだよ」 この話から考えると、疱瘡婆の噂も根拠があると言える。 塔婆を抜いたのも、こんな僻地でそれほどのことを人間がすれば、誰と名が知れないはずがない。あらたに土を掘り、石を据えてあるのを獣が見て、死骸が埋めてあると思って掘ったのだ。 死人が埋まっているかどうかさえわからないからには、怪力ではあっても、神通力を得たものではないはずだ。 どこから来た獣だろうか。いまだかつて聞いたことのない出来事だと、人々は語ったのである。 |
あやしい古典文学 No.217 |
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