『太平百物語』巻之四「女の執心永く恨みを報ひし事」より

血まみれ

 備後の国尾道に小左衛門という人がいて、その家は代々富裕であった。小左衛門の父親は観勇といった。
 かつて、観勇の父親、つまり小左衛門の祖父が、竹という召使いの女を無実の罪で責め、しまいには食物も与えずなぶり殺し、という事件があった。
 そのとき、断末魔の竹は、かっと目を見開いて、
「この恨み、当家のあるかぎり思い知らせてやる!!」
と叫んだが、実際、小左衛門の祖父は、まもなく竹の死霊にとり殺されたのである。

 死霊はさらに観勇にとり憑いてこれを悩まし、観勇はしだいに衰弱していった。
 観勇は臨終の床に小左衛門を呼び、
「わしは常に神仏に祈り、なんとか逃れようとつとめたけれども、やはり竹の怨霊のために命を失うことになった。おまえは神仏をいっそう信仰し、貧しい者に慈悲を施すのだ。おまえだけは、なんとしてもこの災いを免れてくれ」
と言い終わるや絶命した。
 小左衛門はやむなく父を野辺送りし、追善供養を済まし、一周忌もねんごろにとり行った。

 その翌朝のことである。
 小左衛門が座敷に出て前栽を眺めていて、ふと見ると、畳から壁柱にいたる一面が、大量の血しぶきにまみれている。
 これはどうしたことだと驚いたが、家来の者には告げずにこっそり血を拭い取って、その日はすませた。
 次の日、何となく居間を見ると、ここも畳から板敷にいたるまで、おびただしい血に染まっている。もはや一人で拭ってすます気力はなく、家来たちを呼んで、このとおり血まみれだと語った。
 家来が驚いてあたりを見回すに、血のついた所などどこにもない。そのことを言うと、小左衛門はひどく怒って、
「これほど血がついているのに、おまえたちの目に見えないことがあるものか。早々に拭い取れ」
と言う。
 やむをえず指図のとおりここかしこを拭くと、小左衛門は、
「雑巾まで血がしたたっている。取り替えて拭え」
 もともと血などないから、雑巾が濡れるはずもない。しかし、主命には逆らえず、雑巾を取り替えて拭うと、また台所にやって来て、さっきと同じように命令するのだった。
 以来、小左衛門が毎日このように言いつけるので、家来たちは、
「まさに尋常ではない。やはりこれは昔の竹の怨恨のせいだろう」
と言い合って恐れ、一人また一人と去って、とうとう誰もいなくなった。

 小左衛門は独りで、毎日家の中を拭きまわっていた。
 日ごとに血の量が増えて、小左衛門が座る所も血に染まっていく。衣類にも血がこぼれかかるので、そのたび引き裂いて捨てた。
 このことを親族の者たちが聞いて、心配して訪ねてきた。
 小左衛門が言うには、
「まことに、親戚筋ゆえにご心配いただき、よくぞ訪ねてくださいました。お気持ちはありがたいのですが、ご覧のように家中血みどろで、お座りいただくところとてありません。どうか、お帰りください」
 しかし、皆が見るに、一滴の血もありはしない。ただ小左衛門の目にのみ、家の内どこもかしこも、血塗られていないところはないのである。
 小左衛門がそう言うのを、逆らっても仕方がないと、皆は帰っていった。しかし、その様子があまりに痛ましく、食物をきれいに調えて、使いの者に届けさせた。
「食べ物も器も、よくよく調べてあります。清浄なものですから、どうぞ召し上がってください」
と使いの者が言うので、小左衛門は喜び、
「まことに、きれいな食物である」
と、何口か食べかけた。すると早くも、そこに血が滴り落ちている。
 もう食べることはできない。血をきれいに洗い流すこともこの家ではできないと言って、すべて返してしまった。

 このようにして一年ばかり、小左衛門は痩せ衰えて死んだ。
 後継ぎがないため、家は断絶した。
 無実の者を殺して、その恨みで親子三代とり殺されたとは、まったく恐ろしいことである。
あやしい古典文学 No.227