『新御伽婢子』巻三「両妻夫割」より

裂けた男

 京都の五条通り室町のあたりに、その昔、藤原俊成卿が玉津島神社を勧請したところがある。今では、神社は人家の後ろに形ばかり残っているだけだが、その地の名は新の玉津島町という。

 ここに住む武右衛門とかいう男は、商用で江戸に滞在するのが一年のうち八割、妻と子供が一人いる京都には、残りの二割ほどしかいなかった。
 妻が夫に言うには、
「世間では普通、夫となり妻となったら、片時の間も離れるのを悲しむものです。まして遠い旅であれば、出発の際には別れを嘆き、帰りをひたすら待ちわびる。わたしたちは十年夫婦でいながら、一緒にいるのは三年に及ばないのは、どういうわけでしょう。あなたが江戸へ向かうときは、道半ばまでお送りし、お帰りのときにはまた、半ばまでお出迎えしていると、夢うつつに思っているのです。もし故郷の京都を思い出したら、必ず早くお帰りください」
 武右衛門は、妻がうらめしげにしみじみと語るのを、
「わかった、わかった」
と軽く聞き流して、また東へと下っていった。

 そうして江戸に着くと、ここにも女房がいて、子供も一人いた。
 その昔、京都に妻があるということは隠して、
「私は独り者だから、いずれは江戸に引っ越して、きっと二人で住もうよ」
と言い寄って以来の仲であった。
 ところが、このたびは女の様子が違っていた。
「あなたは京都にも女を置いて、都は花とばかりにかわいがり、江戸のわたしのことを田舎者呼ばわりしているそうではありませんか。ある人が知らせてくれましたよ。あなたの誓いを信じて今日まできたのです。こんな幼い子もあるのですから、もう京都へは帰りなさるな。けっして離しませんよ」
 こう言ってすがりついてくる女の顔を見ると、かつてとは一変し、ただもう鬼の形相であった。
 武右衛門はぞっとして、今までの愛情は消し飛んだが、この場はとにかく頷いて、
「わしもそう思うのだが、なにかと忙しくて用事が尽きないので、ずっとこの地に留まることができなかった。京都に女がいるなんて、根も葉もないことだ。そんなに恨みに思うのなら、今度の京都行きを最後にしよう。万事片づけて戻ってくるから。きっとだ」
と言い捨て、なんとか袖を引き離して、駆け足で京都に向けて逃げ出した。

 急ぎに急いで駿河の国は見付宿まで来たところで、子を抱いた江戸の女が、大声で呼びながら追いついてきた。
「あなた、ひどいじゃないの。心では愛想をつかしながら、口先でだますつもりなのね。そうはいかない。どこにも逃がしはしないから」
 飛鳥のような速足だ。必死に逃げる男をついに捕らえ、右の腕にしがみついた。
 と、そこに、どういうわけだか知らないが、京都の妻が忽然と現れた。武右衛門の左の腕に取りつくと、かっと見開いた目で江戸の女を睨みすえて、
「二世を誓ったわが夫と、長年密通した憎いやつ。この恨み、ちかぢか思い知らせてやる」
と、怒りに震える声が地に響く。
 江戸の女も負けてはいない。
「そんな嘘八百を並べるおまえは、いったいどこの何者だ。いや、わかったぞ。わたしに飽きた夫が、この女に言わせているのだな。そうはいくか。一度つかんだこの腕を、どうして離してやるものか」
と、腕をぐっと江戸の方へ引っぱる。
 武右衛門は引き離そうと身悶えするが、金剛力士のような怪力で、どうにもならない。
 京都の女も手加減しない。京都の方へしゃにむに引っぱっていこうとする。

 引っぱりあう二人が地を踏み鳴らす音は、大山も崩れて地に沈むかというほどで、互いに力んで罵る声は耳を聾するばかりだった。
 両者譲らず、いよいよ強くひいたので、哀れ、ついに武右衛門はびりびりと二つに引き裂けた。
 半身を手に入れた女たちは、東西に別れ行くと見えたが、たちまちかき消えてしまった。
 先に京都の妻が『夢うつつに半ばまで迎えに行く』と言ったが、はたしてこのように、ほんとうに来たというのも、まことに罪深い話である。
あやしい古典文学 No.239