橘南谿『東遊記補遺』「遊魂」より

気の早い幽霊

 諸国をめぐると、いろいろ奇怪なことが多いが、さて、幽霊といえば出羽の国秋田の城下がいちばんであろう。
 ここでは、人が死んで後に霊魂が姿を現すだけではない。大病、長患い、老衰などで死を間近にした人の魂魄が、まだ死んでいないのにもう姿を現し、あちこちをさまよい、飛び回るのが人の目にも見えるのである。

 ふだんよくあることなので、秋田の人はみな、人の死に近くなると幽魂が出るものだと心得て、まったく怪事だとは思わない。
 長患いの末、ついに危篤状態になったとき、親戚や特に親しい友人の家に現れる。白昼にはっきりした姿で家に入ってくるさまは、平常と変わるところがない。ただ何となく物思わしげで活力に欠け、言葉を出すことはなく、無言のまましばらくすると立ち去っていく。
 その人が長患いで死に近いことは周知の事実だから、ただちに幽魂と気づき、言葉を交わそうとはしない。いとま乞いに来たのだなと、その死期の近いことを悟るのみである。
 世間で一般にいう幽霊のように、夜陰に浮かび上がるというのでなく、白昼に確かな姿で出てくる。
 それを実際に見たという人が大多数なので、誰が見たらしいなどと数え上げるまでもない。珍しい話としてではなく、ただの雑談の中で聞いたので、話してくれた人の姓名もおおかた忘れてしまった。

 そんな中から一話。
 小田嶋元良という医者が、荒屋というところの病人を診た際、長患いの末の臨終間近だったので、家族も本人も治療を望んだが、もはやなすすべはないと、固く断って帰った。
 翌日、その病人が元良宅に来て、一心に薬を乞う様子であった。元良はそれを幽魂だと知り、哀れんで親身に慰め、丁寧に薬を調合して与えた。
 病人は喜んで帰ったが、元良は気になったので家人に見に行かせたところ、はたして外出できる容態のはずもなく、その日はとりわけ正気が定まらず、夜更けにはついに亡くなったという。

 ほかにも、これに類したことがたくさんある。もちろん、既に死んだ人の幽霊が訪ねてくることも多いそうだ。
あやしい古典文学 No.249