『一休はなし』巻之二「一休和尚、元三の晨、髑髏を引きて通り給う事」より

めでたい髑髏

 年のはじめの元日は、賢者も馬鹿者も、憂鬱人も能天気も、貴賤を問わず祝い飾ること、世界中どこでも変わることはない。ドブロクであっても屠蘇を飲み、鏡餅を据えるのだと尻餅をつくといった具合に、それぞれなりに祝うのである。

 元日の朝だからといって昨日と違うわけもないのに、なぜか空ものどかに霞みわたったような気がする。通りでは家ごとに門松が立ち、注連縄(しめなわ)が張られている。大晦日の晩は遅くまで借金取りが戸を叩いて街中を駆けずり回っていたが、一夜明ければ打って変わって気が緩み、また大晦日が巡ってくることなど念頭になく千代万世を祝う。いつ死ぬとも思わず不吉を忌み恐れ、つかの間の人生に名利をむさぼることと、命の終わりが迫るのも知らずに子孫を溺愛することを、蟻が茶臼を巡るがごとく毎年毎年ひたすら繰り返し祝って、飽きることを知らない。
 こうした人心を、一休禅師は奇怪なことに思った。
「なんてくだらないんだろう。人のこの世にあるのは、早朝に咲いてたちまち萎れる朝顔さえ盛りの長い花と思えるはかなさだ。カゲロウが青空に羽ばたいて楽しむ間ほどもない世の中なのだ。糞に糞を塗りつけたような正月の祝い言葉など、たちまち煙と消えてしまうもの……。よし、人々に目にもの見せてくれよう」

 一休は墓場へ行って、髑髏(しゃれこうべ)を拾ってきた。それを竹の先に取りつけ、正月元日の朝、京都の家々の門口にニョコニョコと髑髏をさし入れては、
「ご用心、ご用心」
と言って歩いた。人々は縁起でもないと門を閉ざしてしまった。
 そんな一休を見かけて、ある人が言うことには、
「ご用心とおっしゃるのはもっともなことだ。正月を祝おうが飾ろうが、人はいつか皆この髑髏になる。けれども世の習いとして祝って喜んでいるところへ、そんな不気味なものを突き出して水を差すのは、いかがなものであろうか」
 すると一休は、
「そうなんだよ。だから、わしも祝って髑髏を見せて回っているのだ。『目出たい』という言葉の由来を知ってるかね。昔、天照大神が天の岩戸をお開きになって以来いろんなことがあったが、この髑髏のほかに目出たいものはない」
と応えて、こんな歌を詠んだ。

   にくげなきこのしゃれこうべあなかしこ 目出たくかしくこれよりはなし

「これを見なさい、皆さん。目が出てしまって穴だけ残っているのを『目出たい』と言うのだよ。人は知らぬうちに、昨日を無事に過ごした気持ちの馴れにまかせて今日を暮らしている。『飛鳥川の淵瀬常ならぬ世』とは言うけれど、それを目で見るわけでもないから実感できない。そんな人々に『ご用心』と言いたいのだ。誰でもみな骸骨にならないかぎり、目出たいことなど何もないと心得るべし」
 一休がこのように言うのを聞いて、いやはや賢い聖だと、拝まない者はなかった。
あやしい古典文学 No.253