佐藤成裕『中陵漫録』巻之十「島原殺鬼」より

島原殺鬼

 去年のことだ。
 肥前島原の北有村に住む二十七歳の農夫は、幼いときから癲癇で苦しんできた。
 ある人が『死人が火葬になる時、飯を握ってその火中に入れて焼き、それを食べれば病気が治る』と教えたので、両親が作って与えたけれども、最初は『厭な臭いがする』と言って食べようとしなかった。
 しかし、何度も無理にすすめて食べさせるうち、かえってひどく好むようになった。
 やがて、村に死人があれば掘り出して喰うようになった。また、三四歳の幼児を見ると、取って喰おうとするのであった。

 あるとき、祭か何かで人が大勢集まることがあって、その中にひとり裸の人がいた。農夫はそれを両手で抱えて喰おうとした。
 周りの者が引き離そうとしたが、大変な怪力で、数人がかりでもかなわない。やっとのことで手をはずし、シュロで編んだ縄で縛り上げて家まで連れ帰った。
 父親は、斧で息子の喉を打ち破って殺した。その断末魔の声は天に響いて、まことに恐ろしいものであった。

 国主から役人が派遣され、事情聴取をして帰ったが、その後の処分はなかったという。
 このとき、人々は皆、
「島原の人が鬼になった」
と噂した。角が出て、牙が生えたとも言った。聞く者は、丹波の大江山の鬼のように思った者も多い。
 私がその村の人に尋ねたところ、
「姿かたちは人でしたが、心が鬼と化したのは疑いありませんでした」
とのことであった。
 仏法の鬼の図は、そんな心を形に現したものである。人々がかの農夫を鬼と言った事実が、それを証明している。
あやしい古典文学 No.263