十返舎一九『列国怪談聞書帖』「ろくろ首」より

ろくろ首の塚

 遠州千葉山の回信という僧はいたって淫欲の心が深く、郷士何某の娘およつに密通し、それが露見しそうになると娘を誘い出して駆け落ちした。
 二人は関東に向かったが、娘は慣れない旅で疲れ病み、いっこうに道がはかどらないまま路用の貯えも底をついた。
 回信がつらつら思うに、『こんな有様では、とても旅を続けることはできない。とどまったところで、いつ癒える病ともしれない。こんな女につきまとわれて物乞いに身を落とすよりは、かわいそうだが捨てて行こう』
 そこで駿河と甲斐の境にあたる山中にさしかかったとき、回信は隙をうかがって娘を谷底へ突き落とし、人に見られぬうちにと急いでその場から逃げ去った。

 回信は江戸で還俗して藤岡右膳と名を改め、某家の家士となった。
 あるとき右膳は主人の用事で大阪に向かい、東海道は富士川が洪水のため甲斐の山道をまわったので、かつておよつを突き落とした谷に至った。さすがにわが過去を振り返り、『そういえば今年は十七回忌にあたる……』などと思うと心が鬱々としてくる。胸がつかえてそれ以上進む気にならず、麓の宿に泊まることにした。
 ところが、その宿の娘が年の頃なら十五六、生まれもっての美人のうえに色気も愛嬌もたっぷりで、右膳は一目見るなりまいってしまった。その夜、なんとか言い寄るすべはないものかと思案しつつ寝床に横になっていると、窓前の妻戸から入って枕元に寄って来た者がある。
 驚いて見ると、なんと宿の娘だ。愛らしい顔を恥ずかしげに俯けているさまに、もとより好色の右膳はぼうっとなってしまった。互いに思いのたけを語り合い、枕をともにしたのだが……。
 添い臥しているはずの娘の顔が次第に遠ざかっていくようだ。不審に思って頭をもたげよく見ると、娘の胴体は寄り添って寝ていながら首筋はするすると右膳の頭上に伸びている。憤怒の形相で見下ろすその顔は、以前に殺したおよつに変貌していた。
「恨めしや。おまえに騙されて谷底に陥り、独りあの世をさまよう悲しさよ。かねての誓いの言葉、よもや忘れたとは言わせない。われと共に地獄の苦しみを受けるがよい」
と衿がみを取って引き立てようとする。右膳は枕頭の刀をもって切り払う。この物音に宿の亭主が駆けつけて「何事か」と問う隙に、はや娘は逃げ失せた。

 右膳はおのれの旧悪を今さらながらに悔いて、亭主にすべてを打ち明けた。すると亭主は、こんなことを語った。
「世に恐ろしきは人の執着というものです。実は私のほうにも、同じことがあるのです。聞いてください。
 私は、以前はこの山の木こりでした。十六年前のこと、谷あいで旅の女が倒れているのを見つけ、揺り動かすとまだ体が暖かかったので、もしかして生き返るかもしれないと介抱するうち、女の着物のほころびから金子が一分落ちたのです。驚いてさぐってみると、衿口に多額の路銀を縫い込めているのでした。その時やっと女は息を吹き返したのですが、私はにわかに悪心を起こし、再び女を絞め殺して金子を奪い、それを元手に宿屋を始めたのです。
 その年、妻が妊娠して女の子を生みました。今しがたあなたがご覧になった娘です。あの子は生まれながらに世に言うろくろ首なのです。すべて私の悪事の報いに違いないと観念して、人知れず殺した女の跡を弔ってきましたが、ちょうど今日が十七回忌の祥月命日です。あなたがここに投宿なさったことも、みな因縁因果の帰するところ、女の怨みのなせるわざでありましょう」
 この亭主の懺悔に右膳は、
「およつが金子を所持していることを知らずに殺してしまったのも、宿世の業因というもの。いやはや恐るべし」
と嘆息し、その場で髷を切り落とした。

 右膳は再び仏門に入って、巡国の後、女の墓をたてた。「ろくろ首の塚」といって、駿河と甲斐の境の山中に今もある。
あやしい古典文学 No.264