山崎美成『世事百談』巻之三「舟幽霊」より

舟幽霊

 語り伝えられるところでは、海上で舟が転覆するなどして溺死した人の幽魂が夜闇にまぎれてあらわれ、行き交う舟を沈めようとするのだという。
 中国の鬼哭灘という海域は怪異がたいそう多く、舟が通りかかると百人あまりの首のない片手片足の背の低い幽霊が湧いて出て、われ先にと舟に群がり覆そうとする。舟人が食物を投げ与えると消え失せるそうだ。

 わが国の海上でも、そうしたことはよくある。風雨の激しい夜には特に多い。俗にこれを舟幽霊という。
 その怪異のはじめは、風に乗って飛んできた一掴みの綿のようなものが、波に浮かび漂っている。その白いものがだんだん大きくなり、顔かたちができ目鼻がそなわって、かすかに声を発する。その声は友を呼ぶかのようである。
 声に応じてたちまち数十の幽鬼が遠近に出没する。まさに舟に上ろうとする勢いで、舷(ふなばた)に手をかけて舟の進行を妨害する。こうなっては、舟人たちが櫓を漕いで危難を逃れることは不可能である。
 幽鬼どもは口々に「いなた貸せ、いなた貸せ」と言う。その声はおそろしくはっきりと聞こえる。「いなた」とは大きな柄杓(ひしゃく)のことである。
 このとき、経験のある舟人は柄杓の底を抜いて彼らに投げ与える。もし底のあるのを与えると、幽鬼は柄杓で水を汲み入れて、舟を沈めてしまうのである。

 また嵐の夜、陸の高い場所で篝火をたいて海上の航路の目あてにすることがあるが、幽鬼もまた沖合に火をあげて舟人の目を惑わす。これによって、南に見えるのが人の篝火か北にあるのが鬼火かと疑ううちに進路を見失い、風波に翻弄されたあげく幽鬼に誘われ溺死して、われもまた同じ鬼となる。
 ある舟人が語るところによると、人の篝火は場所が一定で動かないが、鬼火は右に上がり左に隠れして一定しないそうだ。
 また、幽鬼は遠く数十の幻の帆をあげて舟が走っているように見せかけることがあるらしい。もし人がこれに従って行くと、しまいには果てない海洋に引きこまれる。
 この場合も、人の舟の帆は風にしたがって走るが、鬼の帆は風に逆らって走るので分別できる。しかし、いざその場に臨んだら熟練の老船頭といえども慌てふためき、逃れることは至難の業だという。
あやしい古典文学 No.265