根岸鎮衛『耳袋』巻の九「妖談の事」より

身投げ息子

 文化六年の春、ある人から聞いた話である。

 中仙道桶川宿に母子二人、まずは人並みの暮らしをしている家があった。
 ところが、その息子のほうが、乱心というわけではなく狐に憑かれたというのでもなく、ふと正気を失ってしまった。
 その後、家にとどめて服薬などで養生した甲斐あって次第に快方に向かい、時々は放心状態におちいるものの、もはや常体というほどまでに回復した。
 そんな頃、息子が近辺の稲荷神社に参詣したいと言った。最初、母親はやめさせようとしたが、そう遠い場所でもないのだからと考え直して、当の神社にも相談の上、行くことを許した。
 そのときはそれで済んだ。しかし、次に息子は浅草観音に参詣したいと言い出した。これは母親の了見だけで決めるわけにはいかず、親類その他に相談したところ、『それは心もとない』と土地の役人も承知しなかった。

 すると四五日して、突然息子がいなくなった。
 きっと浅草観音に参詣しようと江戸へ出たのだろうと思いながら、母親は心配でならず、人を遣って尋ね探したが、行方は知れなかった。
 息子が消えて四日目の明け方のことだった。
 門口の井戸で大きな水音がした。驚いて行って井戸の中を見ると、何ものかが落ちている。ようやく引き上げたところ、なんとその家の息子であった。
 まだ息があったので手をつくして介抱したが、その日の夕刻、とうとう死んだ。
 母親の嘆きは言うまでもない。だが、そうしてばかりもおられず、親類一同うち寄って次の日に菩提所に葬った。

 それからまた四五日過ぎた。
 夜になって表の戸を叩く者があるので、戸を開けると、死んだはずの息子が立っていた。母親は驚愕し、幽鬼のたぐいだと恐れて近寄らなかったが、息子のほうはきょとんとしていた。
「私は観音様に参詣したくてたまらず、勝手に出かけてしまいました。江戸で泊まったのは何処で、昨日むこうを立ちました。道中に泊まったのは何処そこです」
などと言うので、その宿所に人を遣って確かめると、間違いなかった。
「それでは、息子の魂魄が仮に戻って、井戸に身を投げたのだ。墓を掘ってみよう」
という話になり、菩提寺にも断って掘り返してみると、ちゃんと息子の死骸が出てきた。
「こんな奇っ怪なことがあるものだろうか。立ち帰った息子は、もしかして化け物ではないか」

 それからというもの、皆々息子の様子に気をつけている。しかし、まるで不自然なところがなく、たまにぼんやりと放心しているが、それは以前もそうだったのである。
 いまだに不審は晴れないでいるとのことだ。
あやしい古典文学 No.271