『諸国百物語』巻之三「安部宗兵衛が妻の怨霊の事」より

安部宗兵衛の妻

 豊前の国の某所に、安部宗兵衛という者がいた。
 常日ごろ妻を酷く扱い、食べるものもろくに与えなかった。妻はそれを悔しく悲しく思ううち、いつしか病みついた。そうなっても宗兵衛は薬も飲ませず、なおいっそうつらくあたった。
 妻は十九歳の春に死んだ。もはや末期というとき、それまでのつらい思いのたけを語り、
「この怨み、決して忘れない。思い知らせてやる」
と言い残したが、宗兵衛は死骸を山に捨て、葬儀も行わなかった。

 死んで七日目の夜半、宗兵衛が女と寝ていた寝間に、妻の亡霊が現れた。
 腰から下は血に染まり、長い髪を振り乱している。緑青のごとき顔色、歯は鉄漿(かね)して真黒く、眼はらんらんと光った。口が鰐(わに)さながらに裂けひらいている。
 氷のように冷たい手で顔を撫でられ、宗兵衛はなすすべなく、身をすくめているばかりだ。
 亡霊は声高く笑い、添い寝の女を捕らえて七つ八つに引き裂いた。さらに女の舌を抜いて懐に入れると、
「今夜はもう帰る。また明晩来て、積年の怨みを申すとしよう」
と言って、かき消えた。

 宗兵衛は震え上がった。翌日は名高い僧たちを頼んで大般若経を読み、祈祷するとともに、多数の弓鉄砲をそろえて守りをかためた。
 しかし夜半ごろ、いつのまに来たのか、亡霊は宗兵衛の背後に立っていた。
 宗兵衛が、なんとなく背中のぞっとするようで振り返ると、亡霊の眼がきっと睨みすえて、
「さてさて、用心の厳しいことよ」
 そのまま宗兵衛の顔を撫でていたが、にわかに凄まじい姿になって、宗兵衛を二つに引き裂き、ついでに周囲にいた下女どもを蹴殺すと、天井を破って虚空に飛び去った。
あやしい古典文学 No.275