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三好想山『想山著聞奇集』巻之四「死に神の付たると云は嘘とも云難き事」より |
死に急ぐ女 |
私のところに出入りの按摩(あんま)に、可悦という盲人がいた。 若いころ江戸の武家屋敷に奉公し、遠国勤務に随従して各地を歩いた経験をもっていた。武芸もそこそこ心得て気性も人にまさり、ものに動じない気質であった。随分と放蕩などもしたらしい。 眼病によって盲人となったため、按摩の業を覚えて生国の尾張に帰り、この名古屋に落ち着いたのである。 この者が、大坂在官の人の供として同地に住んでいたとき、島の内のなんとかという大きな女郎屋で遊んだことがあった。 わずか三度ばかり通っただけだったのだが、相方の女郎がいきなり、 「ねえ、心中しよう。いっしょに死んでおくれよ」 と言いだした。可悦が、 「ああ、死んでもいい。だが、どうして死のうと思うのだ」 と応えると、 「あんたに惚れたからさ」 「その心が嘘でないなら、いいとも、おまえの言うとおりにしよう」 「嘘じゃない。だから明晩、死のうよ」 こんな話をして、その夜は気持ちよく遊んだ。 帰るさに、 「それじゃあ約束のとおり、明晩は早く来ておくれ、きっとだよ」 と女が真顔で言うのを、 「もちろんだ」 と言い捨てて帰ったが、『おかしなことを言う女だな。明晩来たら本当に死ぬことになるんだろうか』と訝しく思った。 次の夜は友人たちとともに出かけて途中で酒を飲み、遅くなってかの店に行ったところ、女は待ちわびていた。 「こんなに遅く来るなんて、ひどいじゃないか」 「いや、友達に出会って逃れがたく、心ならずも酒など飲んでいるうち時がたってしまったのだ。皆を同道してやっとのことで来た次第だ」 可悦がこのように言い訳すると、 「今から死のうというのに、友達の義理なんてどうでもいいじゃないのさ。きっと心変わりしたんだと、宵のうちからずっと怨んでいたんだよ」 「立つ鳥跡を濁さず、という諺もあってな。おまえが待っているとは思ったが、友達のつき合いをおろそかにできない。時刻こそ遅れたが、こうして確かに来たのだから、疑いを晴らしてくれないか」 「やっぱり死んでくれるのかい。嬉しいねえ」 女が今にも死ぬ気になった様子なので、 「それはそうと、どのようにして死ぬのだ」 と問うと、 「店には夜芝居に行くと嘘をついて、今宮の森へ行って死ぬつもりだったんだよ。でも今夜はもう遅いから、二人連れで出るのは変だし、どうしたものだろうねえ」 と迷っている。そこで、 「なにも今夜死ぬと限ることもあるまい。この世の暇乞いに、今夜は大いに酒を飲み、騒いで遊ぶことにしようではないか」 「あれまあ、男というのは気楽なものだわさ。仕方がない。じゃあ明晩こそきっと、早く来ておくれ。一人で来るんだよ」 「わかった、わかった」 こうして、いつになく存分に酒を飲み、大勢で踊って騒いで帰った。 翌日になり、可悦がよくよく考えるに、女がああして心中しようとするのは、実に合点のいかないことであった。 そもそも自分のような男に惚れるというのがおかしい。身分の高さや金に惚れたというのでもなく、また、久しい馴染みでだんだん情が深くなったというわけでもない。そのうえ、お互いに生きていて義理が悪いような事情もない。 おかしなことだとは思ったが、なにしろ向こう見ずな若い時分のことで、『この後どうなるか、行ってみなければわからない。心中して死ぬのも面白いかもしれん。何にせよ、今夜も出かけるとしよう』と決めて、その晩は暮れ方から出かけ、午後八時前には店に着いた。 女は待っていて、 「よく来てくれたねえ。それじゃあ約束どおり夜芝居に行こう」 こう言って店のほうの始末をつけて、二人連れだって外に出た。 戎橋まで歩くと、橋のたもとに草履やわらじなども商っている八百屋がある。ここで女は、 「下駄では長い道を歩きづらいから草履にしよう。あんたも履くといいよ」 と草履を二足買い、それから橋の上に行って、大坂一にぎわう道頓堀川に行き交う船が群れをなすのも委細かまわず、わが下駄を川に蹴りこんだ。 この時にいたって可悦は、『この女は間違いなく死ぬつもりなのだな』と悟ったという。 「さあ、あんたも履き物を川に蹴込んで、早く草履にしたら」 「こいつは新しいから、水に捨てるのはもったいない。さっきの八百屋に預けてくる」 「今死ぬ者が、そんなことを気にかけるなんて」 「いやいや、死ぬ者であっても無駄は無駄。八百屋に置けば八百屋のものとなって役に立つ。預けてこよう」 無理に立ち戻って履き物を八百屋に預け、それから浪花新地を通り抜けるころ、ふと女の様子を窺うと、表情は一変して目がすわり頬ひきつり、もはや一途に死ぬことと思い定めた気色。何となく女の言うのにまかせてここまで来たけれど、この顔を見て我に返った。これきり死んでお終いという気には全くなれない。 『心中しようと快く約束した手前、今さらいやとは言いにくいが、軽はずみなことを請け合って長い命をこの場限りに縮めるのも智恵のないことだ。どうしたものか』と思い悩んだあげく、『もはや義理もこれきり。足にまかせて逃げよう』と心に決めた。 しかし女も覚悟を定めているから、可悦の着物の懐から背中に手を差し入れて、命がけの力で下帯を握り締めている。これをもぎ放して逃げるのはたやすいことではない。『ああしようか、こうしようか』と考えているうちに、今宮神社の森まで来てしまった。 女は用意の紐を取り出して、 「さあ、いっしょに首を縊ろう」 と言う。そう言いながらも、握った下帯は放さない。ここはとにかく時間を稼ごうと思った。 「まあ待て。煙草を一服吸いたいものだな」 「何を言うの。もう煙草どころじゃないよ」 「もはやこの世の名残ではないか。ここまで来たからには、そのように急ぐことはない。好きな煙草くらい吸わせてくれ」 「そうかねえ。男の気持ちはわからないねえ。しょうがないから、あたしも一服するとしよう」 社殿の前で火打ち石を取り出して、一打ち二打ちしたところ、思いも寄らぬことに、社の戸ががらりと開いて、夜番の男が出てきた。 「こんなところで火を打っているのは誰だ!」 と大声で叱られて仰天した拍子に、女が握っていた下帯を放した。 可悦は一目散、森の奥に駆け込んだ。 女はきっと捜し回ったのだろうが、彼は気味の悪い森の中を夢中でたどり、もと来た道に逃げ戻った。戎橋の八百屋まで来てみると、まだ店の者は寝ていなかったので履き物を返してもらって、足早に自分の宿に帰った。 帰って二日ほどは、外に出ずにいた。その間、やはり先夜のことが気にかかり、鬱々として気が晴れなかった。 三日目に、方角を変えて天満のほうに出かけ、ある茶屋で休んでいると、そこに荷物を背負った商人が来て荷を下ろし、こんなことを話した。 「ゆうべ、今宮の森で心中があったそうですな。女は島の内の女郎らしい」 『似たようなことがあるものだな。もしかしてあの女ではなかろうか』と思って、何という店の女郎かと尋ねると、自分が通った店である。思わず気が急いて、さらに女郎の名を尋ねると、 「名までは知りませんが、なぜそんなことを訊かれるのかな」 こう言われて、 「いや、以前あの店にはよく行って、だいたいの女郎とは知り合いなので、くどいながらお尋ねした」 と、その場はごまかした。 それからいろいろ調べて、やっぱり先に可悦と心中しようとした女だったとわかった。相手の男は遠国から来た者で、これも四五度通っただけの、相当な年寄りだったという。 女には世に言う死神が取り憑いていて、それが相手の旅の男にも取り憑いたのだろうか。 この話は、「何にしても、うっかり危ない目に遭いました」と、可悦が詳細に語ってくれたものである。 |
あやしい古典文学 No.290 |
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