朝日重章『鸚鵡籠中記』元禄五年十一月より

半助斬られる

 都筑半助が清水で斬られた。

 ずっと以前、半助は、妻が死んで後に飯炊きの女と関係して、これを後妻にした。女には連れ子の娘がいて、当時まだ幼かったが、その後成長したので奉公に出した。
 やがて娘を筑後守の中間(ちゅうげん)と婚約させた。その一方で、半助は娘と姦通していた。
 最近の某日、その半助が犬山から名古屋城下にやって来た。清水観音堂の裏に、半助が昔召し使っていた新八という者が住んでいて、夕方、そこに現れたのである。
 新八は外出中で、婆さんが留守番していた。半助は人をやって、奉公している娘を呼び寄せた。

 ある者が、この密会を娘の婚約者に知らせた。
 男は激しく憤った。ただちに刀を研ぐと新八方に駆けつけ、門を開けて中に押し入った。
 ちょうどその時、婆さんは丸盆を抱えて豆腐を買いに出かけており、二人は行為の真っ最中だった。
 灯を消した部屋の中は真っ暗で、何も見えない。男は刀を振りまわして、めったやたらに斬りつけた。動転して逃げまどう半助に、うまく刃が当たらず、ただ二人の者が慌てふためいて転げまわり、呻き叫ぶのが聞こえるばかりだ。
 男も生来臆病だったのだろうか、途中でやめて何処へともなく逃げ去った。

 半助は怪我をして部屋の隅にうずくまっていたが、男が去ったのを知ると丸裸で駆け出し、高岳院の寺門をあわただしく叩いた。
 出てきた僧に事の次第を述べ、ひとまず中に入れてもらった。鮮血が流れて体じゅう血まみれである。
 憤悶の言葉を口にしていたのは言うまでもないが、それにしても、なめし革で作った張形を萎えた男根にかけたまま、六十ばかりの髭面男が、両手で涙を押さえてわなわな震えているさまは、なんとも滑稽だった。
 親類の者が呼ばれて来て、あまりの見苦しさに突き殺したという話だ。
あやしい古典文学 No.294