朝日重章『鸚鵡籠中記』元禄四年十二月より

成り上がり

 美濃の国、多芸郡たき村に、与右衛門という百姓がいた。もとは地元の奉公人だったが、幸運にも恵まれ、今は家をかまえて栄えていた。
 与右衛門は七十五歳、男子が三人あったが、三番目の子に、同じ村の惣右衛門の娘を嫁に迎えることになった。
 十二月二十六日、花嫁行列が馬に乗って通るとき、紋右衛門と左五右衛門という二人の者が、棒をひっ提げて道に立ちはだかり、
「成り上がりの与右衛門の家に嫁に行く分際で、わが門前を馬に乗って通るとは言語道断。さっさとおりろ」
と、大声でののしった。
 仲人の権兵衛は困って、言葉を尽くして宥めすかしたが、聞き入れない。やむをえず、花嫁をおろして通った。

 事の次第を聞いて、与右衛門は激怒した。
 その夜のうちに嫁を離縁して実家に帰し、明くる二十七日早朝八時ごろ、与右衛門と息子三人ほか総勢八人が、鎖帷子(くさりかたびら)に身をかため、紋右衛門方を襲撃した。
 ちょうど左五右衛門も来ていて、昨日の話をしておもしろがっていたところ。そこへ八人の者がどっと斬りこんだ。
 左五右衛門、紋右衛門そのほか下僕どもが応戦するなか、紋右衛門の女房の妹は庭にいたが、これを見てザルに灰を山盛りにして投げつけた。灰の煙が巻き起こって目をふさぎながら、与右衛門が横ざまに刀を振るうと、女は腰から血煙を上げて真二つに胴斬りとなった。
 紋右衛門、左五右衛門以下、六人が斬り殺された。
 与右衛門方は無傷。静かに家に戻り、与右衛門は『思うところあって』と、立ったまま切腹した。残りの者は皆、岩崎村の牢に入った。
あやしい古典文学 No.295