橘南谿『東遊記後編』巻之四「羽州の鬼」より

羽州の鬼

 出羽の国の小佐川というところに近づいたのは、もう午後四時をまわるころで山の色も暮れ、さらに昨日からしとしと雨が降っているので、日影もさだかでない。次の宿場までは十二キロもあるので、とても日のあるうちには着けそうになかった。

 しかし、雨が降っているので暗いが、意外に時刻はまだ早いのではと思えたから、行き会った土地の老人に、
「次の宿場まで行く間に、日は暮れないだろうか」
と問うと、老人は眉をひそめ、
「道を急げば着けるでしょうが、見れば遠国の人のようだ。最近このあたりには鬼が出て、人馬の区別なく取って喰う。ここまでの道にも鬼が出る場所があったのに、喰われなかったのは運がよかったのだ。ここから先はもっと鬼が多い。旅ができるのも命あってのこと。何をお急ぎか知らないが、日暮れに道を行くのは危ないことだ」
と言う。
 私も道連れの養軒も、これを聞くなり笑ってしまった。
「いくら僻地へ来たからといって、人を脅かすにもほどがある。鬼が人を取って喰うなんて、昔話の本にはあるが、今の時代、三歳の幼児でも信じない。その鬼は青鬼か赤鬼か、虎の皮のフンドシは古いのか新しいのか」
などと冗談を言い合いながら歩いたが、やっぱり時刻がはっきりしないのが気になったから、みすぼらしい藁葺の家があったので、
「日のあるうちにむこうの宿場に行きつけますか」
と尋ねた。すると主は驚いた様子で、
「旅の人は大胆なことを言う。この先はやたらに鬼が多くて、無事に行き過ぎることはできない。昨日もこの里の八太郎が喰われた。今日も隣村の九郎助が取られた。ああ恐ろしい」
と、時刻のことなど答えもしない。
「同じように人を驚かすものだな」
と笑ってその家を出て、また人に問うと、これまた鬼のことを言う。
 不審に思いつつも、やっぱり可笑しかったが、三人まで同じように恐れるのは、どこかに本当のことがあるような気がして、
「養軒、どう思う。話に不審の点がある。日も暮れかかっているようだ。雨がぼそぼそ降って景色も心細い。この先急ぐわけでもない旅だ。人里から離れて夜になってはまずいから、さらに尋ねても鬼のことを言うのだったら、今夜はこの里に泊まろう」
 養軒も同意して、それから家ごとに入って尋ねるに、口々に鬼のことを言って、舌を震わせて恐れるのであった。
「さては、嘘ではないぞ。故郷を出て三百里にも及べば、こんな奇怪なことにも遭うのだ。それならここで宿をさがそう」
と、あちこち宿を頼んで、やっと六十歳過ぎの老婆と二十四五の男の住む家に泊まることができた。

 足をすすぎ、囲炉裏で木賃の飯を炊きながら、老婆に鬼のことを尋ねると、老婆は恐れおののいて、何事かを懸命に言う。僻地の女の言葉は容易に聞き取りがたく、何を言っているのかわからない。
「では、その鬼はどんな形ですか。額に角があって、腰に虎の皮のフンドシをしていますか」
と聞くと、若い男のほうが首を振って、
「そんなものではないよ」
と言う。
「では、どんなものですか」
「犬のようなものだ。ちょっと大きいが」
「背が高くて口が大きいですか」
「そう」
「それは、狼ではありませんか」
「狼ともいうらしいね」
 養軒と私は顔を見合わせ、
「そいつは恐ろしい……」
と叫んだが、先程来のいろんな人の話がにわかに真実味を帯びて、今さらながらに恐ろしいこと限りない。
 だんだん詳しく聞くに、この小佐川の人も六七人喰い殺され、昨日もこの向こうのなんとかの関の者に飛びかかったが、豪勇の男だったので狼に組みつき、力の限り戦ってとうとう狼を組み伏せた。武器は何ももっていなかったが、やっと傍らの石を拾い、狼の頭を叩き砕いて殺した。しかしわが身にも重症を負っていて、家に帰りついた後死んだなど、最近の恐ろしい出来事を次々に語るのであった。

 狼が狂犬病にかかって、そのせいで白昼に数十頭の群れで出没し、人を害するのであろうか。こんな辺境まで来て獣にやられて命を落とすのは、なんとも残念だと思うにつけても、その夜は目もあわない。
 ここから引き返すのも危ないし、進むのもなお危ない。かといって、この里に住み着くわけにもいかない。盗賊相手なら衣服でも与えればすむ。仇討ちなら知恵をめぐらせて対抗しよう。ところが相手は獣である。そんなものに勇気をふるって立ち向かうのは、虎を手打ちにしようとするに似て、思慮分別ある者のすることではない。
 そうはいっても、当面の問題をどうしよう。明日だけのことではなく、行く先は山また山の道であり、越えていく途中にどんな猛獣が出るかしれないと、そんなことまで心配するうち、やがて夜が明けた。
 なかなか出立の決断ができない。
 宿の男を呼んで、
「この里に馬がいたら、二頭借りてください。賃銭は十分払います」
とひたすら頼むと、
「駄賃馬は、このあたりにはないが」
などとぶつぶつ言いながら、それでも出かけて、まもなく馬二頭を次の宿場までということで借りてきてくれた。
 その上、この近隣に泊まっていた秋田へ向かう商人二人が、やはり鬼を恐れて馬二頭借りていたので、私たちの話をすると、『よい道連れだ。同道してもらえないものか』と依頼してきたという。
「これはよい味方を得た。こっちから頼みたいくらいだ」
と私たちも言って、それから商人たちと申し合わせ、二人ずつの四人に馬四頭、馬子四人、手に手に長い棒を携え、鹿狩りにでも出かけるようないでたちで出立した。
 小唄を歌いながら多人数の勢いで賑やかに進んだので多少は安心しながら、『昨夜心配したほどでもない。しかしもし出てきたらどうしよう』と四方に目を配る。幸い無事に向こうの宿場に着いた。
 話に聞いた場所では、昨日石で叩き殺されたという狼が、顎だけになって転がっていた。残りの体はどうなったのだろう。見るからに恐ろしいことである。

 この道筋十二キロほどには人家もなく、背の高い芝の野原で、その中に細い道筋がたくさんある。狂犬病がはやっていなくても狼が出る土地と思われる。その先の宿場宿場も二人の商人と組になり、みな馬に乗って用心して進んだが、二十キロ以上行くと鬼の話も出なくなった。
 まったく、人を取って喰うものなので、そのあたりでは狼を鬼というのだ。古風な呼び方である。時がたった今、思い出せば滑稽な話だが、その時の不安は、とても言葉に尽くせないものであった。
あやしい古典文学 No.300