橘南谿『東遊記補遺』「空穂舟」より

箱船漂着

 越後に滞在したとき、倉若三郎左衛門という人と親しく交友した。その人は、このようなことを語ってくれた。

 去年の夏のこと、今町の海岸に空穂舟が流れ着いた。白木の箱作りの舟である。
 あやしい舟だと、海辺の者が集まって中を見ると、歳のころ十六七と見える少女がひとり座っていた。また、瓶に水を入れ、傍らに菓子を一箱入れてある。だれが、どこから流したのかわからない。
「おまえは何者か」
と尋ねると、少女は応えて、
「流されてから今日までに四度、海岸に流れ着きましたが、引き上げてくれる人はなく、また突き流されてしまいました。どうか、ここに上げてください。身の上を語りましょう」
と頼んだ。
 しかし、海辺の人々にこまやかな情けもなく、また、どういうわけで流されたかわからないものを助けて後日災難に遭うことを恐れ、早々に舟を沖へ突きやると、みな後も見ずに逃げ帰った。

 倉若はこのことを聞いてかわいそうに思い、その海岸の周辺を捜させたが、どこへ流されていったのか、あとかたも見つからなかった。それがたいそう心残りだ、と言うのである。
「不思議すぎて、ありそうにない話だな。まるでおとぎ話だ」
と私が言うと、倉若は、
「北海の海岸には、時折こういうことがある。六年ばかり前にも空穂舟が流れ寄ったのだ。それも同じような舟だったが、黒塗りの箱作りだった。このときは、見つけた人が浜で箱を開いたところ、大きな入道の男が入っていた。東西の方角を尋ねるので教えてやると、東に向かって歩み去ったそうだ。この入道、子細を語らなかったので、どこの国の者で、なぜ流されたのかはわからない。ただ、不思議なこととして噂になったのだよ」

 越後などはきわめて辺鄙な土地なので、このような古風な出来事が今もあるのだろうか。どうもよくわからない。
あやしい古典文学 No.303