山崎美成『世事百談』巻之四「通り悪魔の怪異」より

通り悪魔

 男女を問わず、何という理由もないのにふと狂気して、人を殺したり自分もまた自害するといったことがある。
 これは、ふだん心を制御することを疎かにしている人が、みずから平衡を失って恐慌状態に陥るものである。だから、養生は薬に頼るのではなく平生の心がけが大切で、心を養うことを専らにすべきだ。
 そうした突然の狂気は、何か怪しいものが目を遮って、それに驚いて魂を奪われ、思わず心が乱れるのがきっかけである。俗に「通り悪魔に逢う」などという。じっさい「游魂変をなす」の古語には根拠がある。天地の間に紛れている邪気に冒されるのだ。このことは常に心得ておきたい。

 昔、川井某という武家が当番から帰宅し、居間で衣服を着替えてから、座って庭を眺めていた。
 縁先にある手水鉢の下の葉蘭の生い茂った中から、炎が一メートル近くも燃え上がっている。その煙がさかんに立ちのぼるのを不審に思い、家来を呼ぶと刀・脇差を次の間に取りのけさせ、気分がすぐれないからと布団をかけて横になった。
 気を静めて見ていると、炎の向こうの板塀の上から何者かがひらりと飛び降りた。
 髪を振り乱した男だ。白い襦袢を着て穂先のきらめく槍を振り回し、すっくと立ってこちらを睨む面ざしは尋常ではない。
 川井某はなおも心を臍下に鎮め、しばらく目を閉じて後再び見たところ、さっきまで燃え立っていた炎はあとかたなく消え、かの男もどこへ行ったのか、いつもと変わらない庭の風情だった。
 そこで茶など飲みながら落ち着いて過ごしていると、隣の家がなんだか騒がしい。何事かと尋ねるに、隣家の主人がものに狂って白刃を振り回し、あらぬことを喚き叫んでいるとのこと。
 さてはさっきの怪異の仕業だなと思って、家族や家来に怪しいものを見たことを告げ、
「わしは心をおさめたから無事だったが、妖魔は隣に移って、怪しみ驚いた主人が邪気に冒されたとみえる。これは世俗に『通り悪魔』というものだ」
と話した。

 これに似たことがある。
 四谷の辺り一帯が火事で焼けたことがあったが、そこに住んでいた某の妻は、夫の留守のある夕暮れ、独り縁先に出て煙草をのみながら景色を眺めていた。
 初秋の残暑のころで、焼け跡の仮住まいの周りには草が生い茂り、秋風がさわさわと吹いていた。その草葉の中を、腰が二重に曲がった白髪の老人が、杖を突いてよろよろ歩いてくる。にたにた笑うただならぬ顔色が、言いようもなく怪しい。
 この妻は心得のある女だったので、これはわが心の乱れだと思って、両眼を閉じ、観音経を唱えつつ心を静めた。
 やがて目を開くと、もはや風に草葉がなびくばかりで、目を遮る怪しいものの形はかき消えていたが、そのとき、三四軒離れた医師の家の妻が、にわかに発狂したという。
あやしい古典文学 No.305