森田盛昌『咄随筆』上「嫉妬深き父の妾」より

父の妾が恐い

 松田六郎兵衛殿は、亡父四郎右衛門殿の妾まきという者を母のごとく大切に扱い、奥方を娶られたときに長屋の端に部屋を構えて、不自由なく暮らせるように十分な心くばりをした。
 ところがまきは、どういう執念のゆえか六郎兵衛殿の奥方に深く嫉妬し、時おり忽然と姿を現しては、奥方の髪を咬み切りなどした。
 奥方が、
「あっ、まきがきたぞ! 髪を食い切ったぞ!」
と悲鳴を上げるので、見ると本当に髪が食いちぎられているのだった。その姿は奥方にだけ見えて、ほかの者にはまったく見えなかった。
 あまりにも不思議なので、まきの部屋にそれとなく人を遣って見張らせたが、まきは機嫌良く茶など飲んでくつろいでいるばかりだ。こうなると、いかなる者の仕業ともわからない。

 奥方は難産で元禄十一年に亡くなった。
 その後、妾腹の子息も十歳ばかりで死去。享保二年に稲垣八郎左衛門殿の子息を養子にされたが、これも享保四年に自害。今は岩田傳左衛門殿の二男が養子となっている。
 六郎兵衛殿の屋敷では折節、表座敷の戸障子がかたかた鳴りわたり、人々が灯をともして行くと、女の首がにこにこ笑っていたりする。また、棚を鼠が歩きまわる様子なのでよく見ると、人の首が棚を伝っていたこともあった。
 このような妖しいことが度々あると、六郎兵衛殿自身が同僚に話されたそうだ。
あやしい古典文学 No.306