朝日重章『鸚鵡籠中記』元禄十六年五月より

醜悪小僧

 少し以前のこと、江戸の赤坂御門内の堀小四郎の屋敷を、折井宗久、小出和泉守らが訪ねた。
 小四郎がまだ応対に出ないうち、客人たちの前にものすごく醜悪な小僧が現れた。怪しいやつと思って詰問すると、にわかに眼が円く光り輝き、口が大きく裂けた。捕らえようとすると、たちまち消えてしまった。
 この怪事のことを告げると、小四郎は言った。
「じつは最近そんな怪しいことが続いて、女子供はたいへん怖がっている。狐か狸の仕業であろう。家捜しするので、皆さんはお帰りください」

 屋敷中を捜索して、裏手にいたのを中小姓が見つけた。組みついて押え込んだが、また消えてしまった。
 そんなものでも生き物だから、もしかして生類憐れみの令に障るのではと懸念し、殺したいが如何かと若年寄に問い合わせると、『怪しくても実害がなければ殺してはならない』という返答だった。
 どうしたものかと思案の末、結局は殺すことに決まり、弓の心得のある者が葉のしげった木立の陰に隠れ、二十日間待ち伏せたが出てこなかった。
 二十一日目に出た。
 例の小僧が縁側に腰かけたところを射て、捕獲して血を止め、道具類を入れた土蔵の中に閉じこめた。
 あとで道具を取り除けて見ると、土蔵の二階に体長一メートル強の大猫が、矢に刺されたまま死んでいた。
 なお、鉄砲で撃ったという説もある。

 この猫は、以前小四郎が可愛がっていたものだった。外出するとき、この猫を撫でて『小さくなれ』と言うと、ことのほか小さくなり、それを着物の袂に入れて出かけたりしていた。
 その後、猫はいなくなった。久しく見かけないでいたところ、このたびの怪事をなしたのだという。
あやしい古典文学 No.308