『今昔物語集』巻二十七「高陽川の狐女に変じて馬の尻に乗る語」より

馬に乗る狐

 仁和寺の東に高陽川という川がある。夕暮れになると、その川のほとりに年若いきれいな娘が立って、馬に乗って京都に向かう人がいると、
「その馬の尻に乗せてよ。わたしも京の方に行きたいから」
と頼む。
 馬に乗った人が、
「いいとも」
と乗せてやると、五百メートルばかりも乗っていくのだが、急に飛び降りて逃げていく。追いかけると狐の姿になって、コンコンと鳴きながら逃げ去ってしまう。
 こうしたことが幾度もあったと評判になり、ある時、御所の滝口の武士たちもその噂話をしていた。
 一人の若い武士で、勇敢で思慮も備えた者が言うことには、
「おれだったら、きっとその小娘を搦め捕ってみせる。今まで騙されたやつが間抜けなんだ」
 これを聞いたほかの血気盛んな武士が口々に、
「いやいや、おまえにも無理だよ」
と否定すると、
「では明日の夜に捕まえて、ここに連れてきてみせよう」
と断言し、『捕まえられはしない』と言う者たちと激しい口論になった。

 翌日の夜、若い武士はただ独り駿馬にまたがって高陽川に行き、川を渡ったが、小娘の姿はなかった。
 それで京都の方へ引き返していくと、そこに娘が立っていた。武士が通り過ぎるのを見て、
「お馬のうしろに乗せてちょうだい」
と、人なつこく微笑んで言う様子が、なんとも可愛らしい。
「早く乗るがよい。おまえは、どこへ行くのかね」
「京まで行くんだけど、日も暮れてきたし、お馬に乗せてもらって行きたいと思うの」
 娘が乗るやいなや、武士は用意してきた縄で娘の腰を縛り、馬の鞍にしっかりと結びつけた。
「ひどい。どうしてこんなことするの」
「今宵はおまえを抱いて寝るつもりだ。逃げられたら元も子もないからな」
 こうして娘を乗せていくうち、すっかり暗くなった。
 一条大路を東に進み、西の大宮を過ぎたところで、向こうからたくさんの火をともし車を何台も連ねた行列が、大声で先払いをしながらやって来るのが見えた。『誰か高貴な方の行列だろう』と思ったので、そこから引き返して大きく回り道をして土御門(つちみかど)まで行った。従者に『土御門で待て』と命じてあったのである。
「従者ども、いるか」
と声をかけると、
「皆、そろっております」
と、十人ばかりが出てきた。
 そこで娘の縄を解いて馬から引き下ろし、腕を掴んで門から入ると、滝口の詰所まで連れて行った。
 詰所では皆が居並んで待っていた。
「おう、首尾はどうだった」
「このとおり。捕らえてきたぞ」
 小娘が、
「もう許してください。ああ、怖い人が大勢いるわ」
と泣いてわびるのを許さず連れ込むと、皆出てきて周りを取り囲み、火を明々とともした。
「この中に放せ」
「逃げるかもしれぬ。放すわけにはいかない」
 しかし皆は弓に矢をつがえ、
「いいから放してみろ。おもしろいぞ。逃げようとしたら腰を射てやろう。これだけの人数だから、射外すことはない」
 『それでは』と掴んだ腕を放したところ、娘はたちまち狐になって、コンコンと鳴きながら逃げだした。居並んでいた者たちはかき消え、火も消えて真っ暗闇になった。
 武士は慌てふためいて従者を呼んだが、一人もいない。闇をすかして見渡すと、どことも知れぬ野中であった。肝も心も震えあがって恐ろしさ限りなく、まさに生きた心地もない。
 しかしながら強いて心を落ち着けて、しばらく見回しているうちに、山の形やあたりの様子から、死者を葬る鳥辺野の中にいるとわかった。
 『土御門で馬から下りたはず……』と思い出した。むろんその馬もいない。『西の大宮から回り道したつもりが、こんなところに来ている。そうか、一条大路で火をともした行列に行き会ったのも、狐に化かされていたのだな』
 いつまでもそうしてはいられない。とぼとぼ歩いて夜半にようやく家に帰り着いたが、次の日はことさら気分が悪く、死んだようになって寝込んでしまった。

 仲間の滝口の武士たちは前夜ずっと待っていたが、とうとう若い武士がやって来なかったので、
「あいつ、『高陽川の狐を捕まえる』と大口叩いたのに、どうしたのかねえ」
などと笑い合い、使いを遣って呼び出した。
 三日目の夕方、大病を患った者のようにやつれ果てて、若い武士が滝口の詰所に姿を現した。
「あの晩は、狐を捕らえるんじゃなかったのか。どうなった」
「いや、耐え難い病気が急に起こって、行くことができなかった。今夜こそ行ってみようと思う」
「そうか、そうか。じゃあ今夜は二匹捕らえてくるんだな」

 仲間に冷やかされながら、若い武士は言葉少なだった。
『この前のことがあるから、またあの狐が出てくることはないだろうなあ。もし出てきたら一晩中でも縛りつけて、今度こそ逃がしはしないんだが……。やっぱり出てこなかったら、……そのときはもう詰所に顔を出さず、永久に家に籠もるしかあるまい』などと思いながら、出かけていった。
 この夜は、屈強な従者を多数引き連れて馬に乗っている。『益もない意地を張って、身を滅ぼそうとしているのかも』と思いつつ、自ら言い出したことゆえに、こうして高陽川まで行ったのだった。
 川を渡ったが、小娘の姿はなかった。で、引き返すと、川の畔に娘が立っていた。この前の娘とは顔がちがっていた。しかし前と同様、
「馬のうしろに乗せてよ」
と言うので、乗せてやった。
 縄で娘をきつく縛り、一条大路を帰っていった。すっかり暗くなったので、多数いる従者のある者には火を持って前を行かせ、ある者は馬の横につかせて、高らかに先払しつつ粛々と進んでいったところ、このたびは途中で誰にも行き会わなかった。
 土御門で馬を下り、泣いて嫌がる小娘の髪を掴んで滝口の詰所まで引きずっていった。 滝口の者どもが、
「どうした、どうした」
と言うのに対し、
「そら、こいつだ」
と娘を示しながらも、強く縛ったまま押さえつけておいた。
 それでもしばらくは人の姿でいたが、ひどく責めつけると、ついに狐の正体を現した。
 そこでたいまつの火を何度も押しつけて毛もなくなるほど焼き、矢で何度も射たりしてから、
「おのれ、二度と人を化かすようなまねはするな」
と言って、殺さずに放してやった。狐は歩くこともできないほどであったが、やっとのことで這う這う逃げていった。
 そのあと若い武士は皆に、先の夜に狐に化かされて鳥辺野まで行ったことを語ったのであった。

 その後十日ほどたって、若い武士は『もう一度やってみよう』と思い、馬に乗って高陽川に行った。
 そこには前の小娘が、重病人のような様子で立っていた。
「馬のうしろに乗らないか」
と声をかけると、
「乗りたいけど、乗らない。焼かれるのがつらいの」
と応えて消え失せた。

 人を化かそうとしたために随分ひどい目にあった狐の話で、最近の出来事らしい。
 思うに、狐が人に化けるのは昔からよくあることだが、この狐は化かし方がいかにも巧みで、武士を鳥辺野まで連れて行ったのだ。それがどうして、二度目のときには車の行列も出さず、道を変えさせることもしなかったのだろう。
 狐の化かしようは、人の気構え次第で違ってくるのではないか。そう人々は思ったと語り伝えている。
あやしい古典文学 No.316