建部綾足『折々草』春の部「蝶に命とられし武士の条」より

蝶と侍

 陸奥の人が語ったことである。

 ある国の国主に仕える侍に、生まれながらにして蝶を嫌っている男がいた。
 その侍は常に、
「春は風情ある季節だが、蝶の飛ぶのがたまらなく厭だ。だから、どこにも出かけたくない」
と言って、天気の良い日は家に籠もりきりで、大雨の日だけ『花を見よう』と出歩くのだった。
 友人たちは不思議がった。
「変なやつだな。あの度を超した蝶嫌いがまことなら、悪い性癖としか言いようがないが、どうも信じがたい。一度試してみよう」

 春雨が降り続くある日、友人たちが『花見して酒を飲もう』と誘うと、かの侍はやって来た。
 十分酔ったところで、皆で謀って一間に入らせ、中に蝶を三つ四つ放ってから戸を固く閉ざした。
「わっ、許せ! わっ、助けてくれ!」
 中の男が大声で叫び、しばらくはどたばた逃げまどう物音がしていた。
 やがて静かになったので、さては蝶嫌いが治まったかと、部屋に入ってみると、男は仰向けに倒れて意識がなかった。驚いて抱き起こし、水だ薬だと騒いだが、すでに手足も冷たく、全く息絶えていた。
 部屋に放った蝶は、すべて男の鼻の穴に入って死んでいた。

 こうしたいきさつは後に、死んだ侍の弟や甥の知るところとなったが、仇討ちを願い出るわけにもいかず、そのままに終わったという。
あやしい古典文学 No.317