松浦静山『甲子夜話』巻之十七より

たぬきの糸車

 わが領内でのこと。ある猟師が夜明け前に、山野に鹿を撃ちに出かけた。

 獲物を待ち伏せしていて、ふと向こうを見ると、野原に女が一人座って糸車を回し、木綿糸を紡いでいた。
 あたりに人家の一つもない山中、しかも夜明け前の薄暗やみだ。こんなところに女がいるはずもない。
「化け物めが」
 猟師はとっさに手にした猟銃で女を撃った。たしかに胸に命中したはずが、女はいっこうに平気だった。無心にくるくると糸車を回している。さらに二発撃ったが、やはり変化がない。

 猟師はふと思い当たって、今度は糸車をねらって撃った。手応えがあり、どうと音がして何かが倒れた。
 駆け寄ってみると、大きな年とった狸が鉛弾をくらって死んでおり、その傍らに石が立っていた。
 女に見えていたのはこの石で、狸は糸車に化けていたのである。
あやしい古典文学 No.319