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橘南谿『東遊記』巻之四「仙人」より |
だれだって仙人になれる |
もし長生きしたいと願うなら、深山に入り、飲食せず、思慮をやめ、淫事を断ち、衣服を着けず、ひたすら天より授かった命を養えば、ごく凡庸な人でも二三百歳の寿命は保つことができるものだ。 霧島山に一人の仙人がいる。その名を雲居官蔵(うんこかんぞう)という。 もとは武士で平瀬甚兵衛といったが、職務上の不満から官禄を捨て、山奥に隠れて人との面会を断った。 数十年を経て、霧島山に住むとの噂が親戚の者に聞こえ、甥の得能武左衛門という人が山に尋ね入った。数日間探し歩いてようやく巡り逢ったその姿は、木の葉の衣をまとって髪も髭もぼうぼうと生え、とても人のようには見えなかった。 しかしながら、武左衛門も深く思うところあって探しに来たのであるから、言葉をかけて近寄り、 「今いちど世間に立ち戻り、人との交わりもなさってください」 と説得した。 相手はいっこうに承知する様子はなく、 「世を逃れてからもう永年が過ぎた。最近では多少の仙術も使えるようになって、姓名も雲居官蔵と改めたのだ。たまたま人と遭うのさえ、わが道の妨げになる。まして再び世間に立ち戻ろうなどと微塵も思わない。今後は何があろうと尋ねて来てはならぬぞ」 と言うや、いずこかへ走り去った。 武左衛門はやむなく別れ帰り、官蔵はその後さらに山深くに住んで、わずかでも人と遭うのを嫌った。まして言葉を交わすことなど全くなかった。 官蔵が山に入ってから今日まで、既に百何十年が経過している。しかし歩行は健やかそのもので、老いているとも若いとも分からない。近辺の人はみな仙人と敬い、飛行自在であるとかそのほかいろいろ不思議なことが言われているが、その真偽は知らない。 まったく霧島山は天下の名山で、その高さは雲に聳え、ふもとの周囲は三十六里、山中には薬草・奇石が多く、大きな池が数十、火の燃える谷もある。仙術の修練にこれほど適したところはあるまい。 私も霧島の山中に三日間いて、全貌の百分の一も見ることができなかった。一月も籠もって見てまわれば奇所も訪ねられたのにと心残りが多かったが、仙骨を得ることもなく空しく帰ったのである。 肥後の国、球磨郡の人吉の城下から十里ばかり奥に、多良木というところがある。ここに吉村専兵衛という百姓がいる。 この人は六十歳くらいのとき、家業が行き詰まって世の中が厭になり、ふと仙人になろうと思って多良木の山中に入った。人吉の城下だってよその地から見れば山奥で、仙境のようなのに、そこからまた十里も奥のまったく人もまれな地を、さらに避け逃れて深山に入ったのである。 木の実などを食料とし、寒気には耐えられなかったとみえて、冬になると里に出て綿入れを一着もらった。春が来て暖かくなると綿入れを脱ぎ捨て、裸体となるのだった。 そのように年に一度ずつ衣類のために里に出ていたが、徐々に仙人の域に達したらしく、このごろは年中裸で暮らすようになった。 この人が山に入ったのは、私が球磨に立ち寄った年から四十年あまり前という。 最近は不思議な仙術をいろいろ使うといわれ、なにより百歳を過ぎて歩行の健やかなこと、飛ぶかのようである。 |
あやしい古典文学 No.320 |
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