『巷街贅説』巻之三「章魚の話」より

髑髏たこ

 下総の国の船橋に庄兵衛といって、代々漁師を家業とする者がいる。そこの娘のしもという女は、私の家に奉公してもう七年あまりになる。
 しもの父親の庄兵衛は四年前に亡くなって、今はしもの兄が庄兵衛の名を継ぎ、弟たちとともに漁師をして生計を立て、祖母や母親を養っている。
 しもは男兄弟の中の女一人で、家族皆に可愛がられており、母親は娘の無事な様子を見に毎年江戸に来て、私の家に何日か滞在する。江戸に大火があった今年二月にも、娘の安否を気遣ってやって来た。そして一二日泊まって、こんな話を聞かせてくれた。

 先代の庄兵衛が世を去った翌年のこととかいう。
 十月の七日、祥月ではないけれど亡父の命日だから、仕事も休むべきなのだが、暮らしの貧しさから、この日も兄弟たちは沖に漁に出た。
 さまざまな魚が網に入った中に、ずいぶん大きな蛸(たこ)がいて、なんと髑髏を頭に載せていた。
 他の魚とともに舟の胴の間に打ち上げられ、蛸が驚いた様子で立ち上がった際、髑髏は頭からころりと落ちた。
 庄兵衛も同乗の漁師の年かさの者も、親の命日にこんなものが網に入ったのは、きっと深い因縁があるのだろうと思い、持ち帰って、髑髏は旦那寺の西生院に葬って供養した。
 蛸のほうは価六百文で売れたという。その値段から、どんなに大きな蛸だったか想像できる。
 私は、
「蛸も元の海に放してやって、海上安全と家業の繁盛を願えば、もっと功徳だったのになあ」
などと話した。

 ここで蛸の頭というのは、じつは尻なのである。烏賊(いか)なんかも同じである。
 蛸の習性としてくぼんだものが好きだから、蛸を獲るのには壺を用いる。蛸壺という。また、蛸船というものがあって、蛸が作るのであろうか、とにかくそれに乗って、凪の日には海上に浮かんで遊ぶのだとか。
 それならば、髑髏のくぼみがあるのを喜んで、これに乗ったりしながら弄んでいたのかもしれない。
あやしい古典文学 No.324