秦鼎『一宵話』巻之二「異人」より

肉人

 神祖徳川家康公が駿府に在城のころの話である。
 ある日の朝、御庭に異様なものが立っていた。「肉人」とでも言ったらいいのだろうか、小児のような形の肉塊で、手はあるけれど指はなく、その指のない手で天を指して動かない。
 見る者は皆、「なんだあれは」「化け物か」と驚いたが、どうしていいかわからず、ただ右往左往していた。
 御庭が大騒ぎになったので、やむをえず公の耳に入れ、「いかが取りはからいましょうか」と伺うに、「人目につかないところに追っ払ってしまえ」とのことだった。
 そこで、肉人を城から遠い小山まで連れて行って捨てたという。

 この話を聞いたある人が、
「いやはや惜しいことをしたものだ。周囲に仕える者に学がなかったために、またとない仙薬を公に差し上げずにしまった。この怪物は、『白沢図』に載っている『封(ほう)』というものだよ。その肉を食べると多力になり、武勇も大いに増すと書かれている。たとえ公に差し上げなくても、上下の家臣が食べれば効果絶大なものを。物知りがいなかったのが、かえすがえすも残念だ」
と、惜しがった。
 しかし、これは例えば身体虚弱な人が、「養生食い」と称して八味地黄剤(はちみじおうざい)などを常に服用するのと同じではなかろうか。強健な人は、齢八十に余るまで薬を飲んだことがなく、背中に灸の跡ひとつないまま元気である。
 神祖の時代の人々は、もとより多力で武勇にすぐれていたから、薬に頼ることなど好まなかったであろう。

 公も家臣も「封」のことはよく知っていたはずである。しかし、穢わしいものを食して多力武勇になるのは武士の本意でなく、きわめて卑怯なことだとして、これを捨てたのだと思われる。
 棚からぼた餅の幸運を願うのも、淫祠邪教に心を任せるのも、おおかた肉人をありがたがるのと似たようなものである。
あやしい古典文学 No.325