浅井了意『伽婢子』巻之十三「幽鬼、嬰児に乳す」より

夜毎に来る者

 伊予国風早郡の百姓の一家が業病に取り憑かれ、家中の大人も子供も次々と死んでいった。村内の親族も残らず死に失せ、ただ兄弟二人と弟のほうの妻子だけが残っていた。
 結核病はきっと一門を滅ぼすにいたるというが、まさにその実例である。

 兄弟がなすすべなく悲しむうちに、さらに弟の妻が死んだ。弟夫婦にはこの春生まれた赤子があり、これが母を失って乳に飢え、夜昼となく泣く哀れさは、見るにつけ聞くにつけ涙を誘わないことはなかった。
 妻が死んでひと月ばかりの後、弟の家に妻が戻ってきた。はじめは弟も恐れたけれども、毎晩来て馴れるうち、かつて睦んだ仲ゆえ捨て置きがたく、夜もすがら物語りするに、生きていたころの妻になんら変わらなかった。

 弟の家に夜毎女が来るとの噂を耳にした兄は、弟を戒めた。
「女房が死んで、まだ四十九日も過ぎないではないか。なのにおまえは、もうどこからか女を呼び入れて語り明かすという。これはおまえが世間にそしられ、恥辱を受けるだけではすまないことなのだぞ。兄のおれまでも、こんなことさえ諫めないのかと世間に言われて情けない思いをする。今日より後、せめて女房の一周忌が過ぎるまでは、女を家に入れてはならない」
 弟は目に涙して弁明した。
「そうは言うけど、毎晩やって来るのは、死んだ女房の幽霊なんだ。ある晩、突然門を叩いて、『乳がなくてわが子はどんなに飢えているやらと、そのことが悲しくて帰ってきました』と言う。中に入れると赤子を抱き上げ、髪をかき撫でて乳を含ませた。最初は怖かったさ。でも今では仲よく夜どおし語り明かし、夜明けになると去っていく。生きていたころと何ひとつ違わない女房なんだよ」

 兄は、弟の話を聞いて思った。『一門ことごとく死に失せて、われら兄弟だけが残った。そこで化け物が、今度は弟をたぶらかして殺そうとするのにちがいない。女房に化けているからには、化け物といえども弟には手を下すことはできまい。おれが殺してやろう』
 そして弟に知らせず、長刀を携えてこっそりと門の傍らに隠れていた。
 午後十時ごろに、門を開けて入ってきた者があった。兄はとっさに走り寄り、刀を振るってなぎ伏せた。
「あれ、悲しや!」
と声を上げて、その者は逃げ去った。

 夜が明けてから見ると、地面に血の跡があった。それを辿っていくと、弟の妻を埋めた墓地に至った。
 妻の屍体が墓の傍らに倒れていた。墓を掘ってみると、棺の内は空っぽだった。兄弟は元のように妻の屍体を埋めおさめた。
「おれは、おまえが化け物に殺されると思ったのだ」
「ちがうんだ、兄さん。そうじゃなかったんだよ……」
「ああ、おれは、おまえたちにほんとにすまないことをした……」

 まもなく赤子が死んだ。
 兄弟もうち続いて死に失せ、一門はまったく絶えた。
あやしい古典文学 No.329