三坂春編『老媼茶話』巻之壱「船越殺大蛇」より

船越の大蛇退治

 淡路洲本の城主、船越五郎左衛門は、大力で強弓を引く勇者であった。
 同国の倭文(しとり)の池に大蛇が棲み、土地の民を呑み食らうと聞き、「大蛇を退治しよう」と、弓矢を持ち馬に乗って池に向かった。

 岸辺に馬をとめて、
「この池に大蛇が棲むと聞く。まことならば出て勝負せよ」
と大音声で呼ばわるや、一天にわかにかき曇り、風雨吹き荒れ雷光雷鳴すさまじく、池の波を巻き上げて大蛇が現れた。真っ赤な舌をひらめかせ、馬上の船越に襲いかかる。
 すかさず船越、大雁股の矢を大蛇の口中に射込む。大蛇は大きく仰け反るかに見えたが、また立ち直って向かってきた。
 船越は馬に鞭して退却した。それを追って大蛇が草木の上を走る音は、まさに疾風のようだ。
 倭文の池から洲本まで一里半。途中に楠の森がある。その森陰に馬を乗り入れたので、大蛇は船越を見失い、大木に登って下を見おろした。
 そこをのがさず二の矢を放つと、矢は大蛇の喉を射抜いた。大蛇はこれで大いに弱り、素早く追うことが出来なくなった。
 船越が城に入って門を閉じたとき、大蛇も城にたどり着いて門の上を乗り越えようとした。
 船越の部将の納地某が立ち向かい、長刀をもって大蛇の首を切り落とした。
 断末魔の大蛇は納地に息を吹きかけ、その息は身に熱湯を浴びたかのようで、毒気に触れた納地は高熱を発し、当日暮れ方に絶命した。
 船越が乗った馬もまもなく斃れた。船越も四五日後に皮膚が赤く爛れて死に至った。

 切り落とされた大蛇の頭を、今も船越の子孫が持ち伝えているという。
あやしい古典文学 No.331