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森田盛昌『咄随筆』下「疱瘡の神の虜」より |
いもの神つかまる |
享保九年の冬、久津川孫右衛門という人が、金沢近郊の浅野川べりで漁をしていたところ、小児の形をしたものが投網にかかった。 五六歳くらいの子供で生きており、言葉だってちゃんとしゃべる。しかし、この寒中に水の中にいて死なないなんて、きっと化け物にちがいない。 孫右衛門は、子供に飛びかかって取り押さえ、脇差しを胸に当てて、 「おまえはいったい何者だ」 と問いただした。 問われて子供はべそをかきながら、 「おいらは疱瘡(いも)の神だ。このところあちこちで子供の命を取ったので、神社仏閣で祈祷やまじないが盛んで、いろんな札も貼られるようになって、とうとう身の置き所がなくなった。しかたがないから水中に隠れていたら、おっちゃんの網にかかってしまったんだ。頼むから命を助けてくれよ」 と、手を合わせて詫びた。 「そうか、疱瘡の神か。ならば言う。わしは大勢子供を持っている。中にはまだ疱瘡をしていない子もいる。わしの子には決してとりつかないと誓え。さもないと今すぐ突き殺すぞ」 孫右衛門が言うと、疱瘡の神は、 「おいらは下っ端だから、命令があると疱瘡させないわけにはいかないんだ。でも病気の重い軽いは加減できる。おっちゃんの名前を門口に張っておくれ。その家の子は疱瘡を軽くするから」 これを聞いて、孫右衛門は疱瘡の神を川に逃がしてやった。 その後、孫右衛門の子のかかった疱瘡は、みな軽くてすんだ。 話を伝え聞いて、子供を持つ者は「久津川孫右衛門」と書いた紙を門に張り出し、あるいは守り袋に入れるようになった。 以上、魚屋七兵衛が語ったあらましである。 |
あやしい古典文学 No.336 |
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