青木鷺水『新玉櫛笥』巻之一「熊人の命をたすく」より

熊の心はわからない

 風流に生きる矢野春之助という人がいた。和歌にふけり漢詩に心をとめて、一生を旅に暮らすのであったが、この秋はふと嵯峨広沢の月が懐かしく思われ、ひさしぶりに生まれ育った京都に帰ってきた。
 かつて慣れ親しんだ故郷の名山・名勝を、同好の仲間三四人と連れだってたずね、詩歌を吟じる毎日である。
 そんなある日、旧友の中に出家遁世した人がいて、北山の高雄に寂しげな庵を結んで終の棲家と定め、隠れ住んでいると聞いて、深く心をひかれた。是非とも訪ねようと仲間四人で話し合って、食べ物を入れた破籠(わりご)を持ち、はるばると訪ねていった。

 道が山中に入ったころ、にわかに激しい夕立となった。黒雲と驟雨に包まれ、前後も見えないほど暗い。四人はここかしこと逃げまどって雨宿りする木陰を求めた。
 とある大岩の陰に、ちょうどよい大きさの洞穴があるではないか。これこそ太古、火の雨を防いだ宿かとさえ思われる。先を争って洞に駆け込んだ。
 そうして雨のあがるのを待ったが、稲妻はおびただしく走り、雷鳴が絶えることなく山谷に響き渡る。その恐ろしさは言いようがない。みな生きた心地なく仏名を唱えて胸に手を当て、今にも死ぬかと震えていた。

 そこへまた、どこから来たのだろう、一頭の大きな熊が洞穴の入口に現れた。中に人がいるのを見て、すさまじく眼をいからせ、牙を剥いて唸り声をあげた。
 洞の中の者たちは肝も潰れるようだった。
「ああ、なんてことだ。時ならぬ雷雨さえ並大抵の怖さでないのに、その上こんな猛獣に目をつけられて、われわれは互いの目の前であさましく殺されていくのか」
と男泣きに泣いて、『どうしよう、どうしよう』とささやきあった。
 こんな絶体絶命のときにも自分の命が惜しいのは人の世の常だから、『私がまず熊の餌になって皆さんを助けよう』などと言い出す者はなく、わが身をかばって居すくんでいるばかりだ。
 熊はいよいよ吠え猛り、すぐにも襲いかかってきそうなありさまとなった。それを見て春之助は、『今はこれまで』と思い切った。仲間に向かって、
「私は、この世で罪を犯した覚えはないし、善行をなしたこともない。それなのに今、不思議にもこんな災難に遭っている。きっと前世の因果で定まっていた運命なのだろう。だとすると、この場は何とかして逃れることができたとしても、こんな災いに遭うほどの身ならば、結局は非業に死ぬのを免れない。だから私は、最初にこの洞穴を出て熊に喰い殺されようと思う。みんなはその隙に逃げて、命を助かりたまえ」
 また熊に向かって、
「なあ熊よ。おまえは猛獣とはいえ、狼の如く貪る性質ではないのだから、私を餌にした上に他の人まで狙うことはしないでくれ。よろしく頼む」
 仲間はこれをつらく悲しい気持ちで聞いたが、かといって自分が替わって死ぬ役になろうという心も出てこないので、『ああ』とか『いやはや』などと言うばかりであった。
 春之助は、守り袋のほかに永年の和歌の詠草も心残りだったのか首にかけて、洞の入口に飛び出した。熊はあやまたず春之助の帯をくわえ、彼を傍らの大岩の上に置くと、また洞穴の入口に行って、なおいっそう激しく怒り吠え猛った。
 中の者は茫然自失した。もはや飛び出すことなど思いもよらず、声をあげて泣き叫びつつ、一箇所に頭をあつめて震えていた。
 そのとき、ひときわ凄い稲妻が一閃して天地が崩れるかというほどの雷鳴。洞に落雷したと思われた瞬間、洞穴が裂けた。勢い盛んに三十メートルあまりの竜が出現し、そのまま黒雲に乗って虚空に昇った。

 ほどなく雨がやんで、空は晴れわたった。熊はどこに行ったのか、もう姿が見えない。洞穴に這い隠れたままだった人たちは、この地変に遭って跡形もなく、春之助だけがからくも命を助かって家に帰ることができた。
 そもそも竜が天に昇るときは、必ず風雷の気象が起こり、車軸を流すごとき雨が降る。熊はそうした前兆を知っていて、洞穴にいる人を助けようとしたのだが、人は愚かで、熊の知恵に及ばなかったのだ。
 ともあれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれとは、こういう話をいうのだろう。
あやしい古典文学 No.338