森田盛昌『咄随筆』中「礫は子熊の迷惑」より

熊は冗談が通じない

 神通川の流れる富山城下では、水泳の巧みな者が多い。
 二代藩主が世に並ぶ者のない達人だったこともあって、水練が大いにはやり、男子は十歳の頃から浮き瓢箪を首に巻き、夏は子供用の日よけ笠をかぶって水に入るようになる。そうやって成長するので、神通川を二度三度と往復することができない者などいない。

 舟橋という村に、たびたび神通川を泳ぎ渡って瓜畑に入り、瓜を盗み食いする者がいた。
 あるとき、やはり瓜畑に隠れて瓜を食っていると、岸近くに梁(やな)が仕掛けてあるところに、熊がやってきた。子熊を一頭連れていて、梁に魚が落ちるのをとって子熊に食わせていた。
 瓜泥棒の男は何となく熊の動作を見ていたが、ふと石ころをひとつ梁に投げた。その石ころが、たまたま熊の頭にガツンと当たった。
 熊はムッとしてあたりを見回したが、石を投げたらしい者の姿はない。そこで子熊の仕業と思ったのか、岸で待っている子熊のところに行って、その頭をベシッと掌で張り、また魚をとりに梁に戻った。
 男は『こりゃ面白い』と思って、また熊に石をぶつけた。熊はまた子熊の頭を張って、梁に戻った。男は何度もしつこく繰り返した。
 ついに親熊は逆上した。猛然と子熊に走りかかるや、わが子を二つ三つに引き裂いて、そのまま山へ帰っていった。

 あぶなっかしい冗談をする者もいることよと、富山に住む小林儀右衛門が語った話である。
あやしい古典文学 No.339