鈴木桃野『反古のうらがき』巻之三「怪談」より

金弥銀弥

 いつの時代のことか、一国を領する太守があった。その奥向きに仕える年の頃十五六の二人の少女がいて、いずれも容顔美しく、太守にもずいぶん可愛がられていた。
 ひとりを金弥といい、もうひとりを銀弥といった。二人はいたって仲睦まじく、何をするにも一緒であった。ところが、一年ほどして金弥は病にかかり、父母の家に帰ってしまった。
 金弥の実家は遠方であったため、くわしい消息を聞くことなく日が過ぎたが、ふた月ほどして『もはや治りました』と再び出仕してきた。
 銀弥の喜びは言うまでもない。二人は以前に変わらず睦まじくした。
「宮仕えの暮らしは何かと人に憎まれ妬まれることが多くて、つらい思いが絶えないのが普通なのに、わたしたちはよい友達で、実の姉妹のようだわね。足りないところをお互いに気をつけているから、人に指さされることもなく、たとえけなす人がいたって、二人一体のように仲良しで信頼しあっているから心強い。本当に幸せだわ」
などと、常に語り合っていた。
 仕事の段取りも相談して合わせていたので、御前を退いて休むときも一緒で、片時も離れることなく暮らしていた。夜になると一つ布団に寝ることもあり、厠に行くのも連れ立って行った。

 晩秋のある日のことであった。
 その日も御前を一緒に退出して、同じ寝所で休んだ。夜が更けてから、いつものように二人連れで燈火をともして厠に行った。
 まず金弥が入ったが、どうしたのか時が経っても出てこない。待ちくたびれた銀弥が何気なく戸の隙間から覗くと、なんと金弥が、目鼻つきはいつもと変わらないながら、その顔色が真っ赤、かっと目を剥き歯がみして、左右の手には火の玉を二つずつ持ち、手玉をとるようにしていた。
 火の玉の光が厠の内に満ち、朱のごとき顔面に照り合って、いかなる物の怪か、二目と見られぬもの凄さであった。
 銀弥は沈着な性質であったから、『日頃あんなに仲のよい金弥だもの。たとえ物の怪でも、人に知らせて今までの仲を台なしにしたくない。見なかったことにするのがいちばんだわ』と恐ろしさを堪え忍んで、外で待ち続けた。
 さらにしばらくして、金弥がいつもと変わらぬ様子で出てきた。
「ずいぶん待たせて、ごめんね」
などとにこやかに謝り、替わって燈火を持って待った。銀弥も恐怖を表情に出さず厠に入って用を足したが、さすがに共にもとの寝所に戻るときは、複雑な思いであった。『こんな怪しい金弥だけど、ずっと深くつき合ってきて、今さら別々に寝ようなんて言い出せない。だからといって、これまでどおり一つ布団に寝るのも堪えられそうにない。何の因果の報いで、こんな口に出せず人に相談もできない恐ろしい目に遭うのかしら』。
 銀弥は涙の流れるのをおし隠しつつまんじりともせず、しかしながら心地よく眠るふりをしていた。ときおり薄目をあけて見ると、金弥はいつもより熟睡している。金弥の姿は普段と何の変わりもない。

 夜が明けて、また連れだって御前に出た。銀弥の心は千々に乱れていたが、沈んだ気持ちを気づかれまいと常より元気にふるまった。また夜になって、一緒に厠に行った。このたびは覗くことなどせず、寝所に入っては一睡もしなかった。こうすることが何日にも及んだので、顔色疲れ果て、飲食も喉を通さなくなってきた。
 金弥は驚いた様子であれこれと世話をし、薬を与え神仏に祈るなど、付きっきりで看病した。
 銀弥にとってはそれがいっそう恐ろしく、『少しでもそばを離れてくれたら、気持ちも落ち着くのに』と思うのだが、なにしろ心を尽くして付き添っているので、それもかなわず、だんだんと病が重くなった。
 そうするうち金弥は、あるとき近くに顔を寄せて問うた。
「あなたの病気は、物思いから来てるんだと思うの。もしかしてあなた、このあいだ、何か見たんじゃない」
 銀弥はすぐ『さては、あのことを訊いているな』と気づいたが表情には出さず、
「何かしら? 思いあたることはないけど」
と応え、
「ならいいのよ」
と金弥も言って、その場は済んだ。
 銀弥はそれまで『先日の夜のことは、もしかして自分の目の錯覚かも』と半ば疑っていた。しかし金弥の様子から、身に覚えがあって問うているように思われて、物の怪に間違いないと確信した。『こうなったら少しでも早く病のことを知らせて、父母のもとに帰るしかない』と決意したが、金弥のことはけっして人に洩らすまいと思っていたから、病状のことだけを手紙に書いて両親に送った。

 金弥はいちだんと熱心に看病するようになり、夜も眠らないほどだった。そして、また前と同じことを問うた。銀弥も同じように応えたので、またそのときは済んだ。けれどもその後は、一日に幾度となく問うのだった。問うときには金弥の表情が凄くなるように見え、銀弥は追いつめられていった。
 病気はいよいよ重くなり、詰問はますます頻繁になる。もはや生きた心もなく、物の怪にとらわれたも同じだった。朦朧とした意識の中で『もうだめだ』と思った。
 いっぽう手紙を読んだ両親は、ただちに医師を送ったり修験者を頼んだりした。
 家で護摩を焚いて神に祈るに、修験者が言うには、
「これは物の怪が憑いたにちがいない。はなはだ危ない状態だ。今日の夕暮れ時まで難を免れたらよい方法があるのだが、それまでのところはあまり有効な手だてがない。とにかく一刻も早く連れ戻して、私の傍に置くがよい」
 驚いた両親は、まず銀弥の叔母にあたる人を呼んで事情を説明した。叔母も大いに驚き、『今すぐ迎えに行く』と駕籠を走らせた。叔母の夫は武士なので、これも頼んで行ってもらった。
 太守の館までの道はさして遠くなく、その日の午後二時ごろに行き着き、ただちに太守にことの次第を説明したうえで、銀弥を駕籠に乗せた。金弥は傍でかいがいしく手伝って、
「風に当たらないようにね。駕籠に揺られないようにね」
などと気を遣い、まことの姉妹のように別れの悲しさを語りあって泣いた。

 駕籠は太守の館の門を出た。
 叔母夫婦から修験者の言葉を語り聞かされた銀弥は、
「やっぱりそうだったのね。けっして他人に洩らすまいと思ったことだけど、神のお告げがあり、修験者の言葉ではっきりしたんなら、もう隠すことはないわ。姉妹と誓い合って仲良くしてきたさっきの金弥が、その物の怪なの。そのわけはしかじか……」
と告白した。
 叔母夫婦が、
「それだったら、われわれが付き添って家に帰るのだから、何の心配もない。落ち着いていなさい」
と言って道を急ぐうち、はや午後の四時を過ぎた。空が曇ってきたためいつもより早く薄暗くなって、ちょうど人家のまばらなところにさしかかった。それでも、もう家が近いので、ほっと安心していた。
 そのとき突然、駕籠の中で悲鳴がした。はっとして駕籠の垂れを引き上げて見ると、銀弥は仰向けに反り返っていた。顔面の皮をまるごと剥かれて、目鼻もわからなくなって息絶えていた。
 叔母夫婦は『しまった』と悔やんだが、どうしようもない。そのまま家に連れ帰り、両親にも修験者にも途中の出来事、物の怪の仕業であることを語った。

 ただちにこのことを太守に訴え出て、太守は『不思議なことである』と金弥を探させたが、すでに行方が知れなかった。その実家に尋ねると、『先に病気で帰ってきてから二月後に、娘は死にました。再度の出仕などできるはずがありません』との返事だった。
 金弥が病で死んだのも妖怪がとり殺したのだろうか。または、金弥の死霊が妖怪の所業をなしたのだろうか。そのいずれともわからない。
あやしい古典文学 No.345