津村淙庵『譚海』巻之九より

いくち・いるか

 常陸の外海には「いくち」という魚がいて、ときどき船に入ってくる。いくちが入ると沈没する危険があるので、船頭はこれをはなはだ恐れる。
 いくちは、太さはさほどないものの、長さは何百メートルにも及ぶ。これが一方の舷側から入って他方の舷側へと、船を越えて行くのである。
 いくちが通過するには数時間かかる。最後には尾が水に落ちた音がして、その後は何の支障もない。
 ただ、通過している間に肉から油がこぼれる。その量がおびただしい。放置しておくと油が船に満ちて沈没してしまう。だから、いくちが入ったと見ると、船頭たちは無言で器物にこぼれる油を受け、ひたすら海に棄てる。
 その油は糊のように粘ってぬるぬるなので、船中を行き来するのも容易でなくなる。いくちの入った船は、後でよくよく洗わなければならない。
 いくちが入るのは夜なので、形をはっきり見ることはできないが、鰻のように全身がぬめっていて、とにかく油が多くある魚なのだという。

 また「いるか」という、鮫のような魚がいる。鹿にも似ている。
 いるかは眠ることが大好きで、いつの間にか船に入り込んで、いびきをかいて寝るのである。
 だから漁師がいるかを獲るには、夜のうちに海上に出て、そのまま船を浮かべていればいい。そうしていると大概、いるかが船底に入って寝ている。やがて船を漕ぎ戻し、岸に着いたところで銛で突き殺す。肉は食物とする。
 漁船が江戸に魚を輸送する際にも時々いるかが入って、艫(とも)のほうでいびきをかいて眠っていることがあるそうだ。
あやしい古典文学 No348