秦鼎『一宵話』巻之一「蝦夷の海獣」より

蝦夷の海獣

 中国の『軒轅本紀』には、次のようにある。
「日本に騰黄(とうこう)という神獣がいる。別名を八翼の竜。色は黄色で、形は狐のようだとも馬のようだともいう。また、背には二つの角と竜翼があるともいう。三千年の長命を保つ獣で、これに乗る人も必ず二千歳の寿命を得ることができる。むかし黄帝が日本からこれを獲て、諸国を自由自在に乗りあるいた。」
 このような獣が日本国にいるとは、聞いたことがない。中国の道士のいつもの妄言だろうと、だれしも思う。
 しかし、これは翼竜というから海獣のはずで、たとえ国内にはいなくても、蝦夷の奥地の海などには棲んでいるかもしれない。こうした獣を獲って主君や親に奉れば、そのときの功名はむろんのこと、後々まで奇談として語り継がれるだろう。

 ある年、蝦夷の「シカツイタシベ」という獣の角を手に入れた。色は象牙のごとく、長さ五十数センチ、根元の太さ二十センチあまり、重さは八キロほどもあろうか。
 「シカツイタシベ」はふだん海底に棲んでいて、ときどき陸に上がり、角を岩にかけて眠る。いったん眠ると一日二日と醒めないが、眠っているところを人に知られることはない。また、蝦夷人がこの獣を毒矢で射ても、容易に通らない皮の厚さと堅さなのだという。
 それ以上知る人に会うことなく過ぎたが、最近『長崎聞見録』に載っている和蘭の海物の図を見たところ、『落斯馬(ラシメ)』という獣の様子に寸分の違いもなかった。「タシベ」「ラシメ」と名もよく似ている。
 その角を蝦夷人が血症の薬とすることも聞いていたので、そのことも含めて実際にオランダ人に尋ねると、
「効能のことは知らない。だが、これは落斯馬の角に相違ない」
という答えが返ってきた。

 また、話に聞くところでは、二三十年前、蝦夷の海に恐ろしい獣が出たそうだ。
 体長は三メートルばかり、脚に鋭い爪があり、歯牙は鋸のごとく、鮫に似た皮膚は毒矢を通さない。体つきは鰐のようだった。どんな大魚もこれにあっては一口に噛み殺された。そればかりか、陸に上がってそこらの獣をも取り喰らった。
 ただし足は速くなかったので、蝦夷人はこれを獲ろうと立ち向かった。最初は大勢が噛まれたが、その後どうして見つけたのか、腹の下に柔らかな箇所があるのを知って、そこを毒矢で射て三頭を殺した。数は多くないとみえて、三頭殺した後は、もはや見あたらなかった。
 こんな猛獣には、たいがいの動物は敵すべくもないと思われるのだが、なんとかいう小獣はその口から入って、五臓を噛み破って殺してしまうという。

 蝦夷の海に出た獣の名は何というのか。語る人も聞く人も伝えもらしたわけだが、それも『聞見録』に見いだした。
 「剌加而大(ラカルタ)」に相違ない。これはオランダでも怪しがる海獣である。
 こうしたものが今も蝦夷の海に棲むことを思えば、先の「騰黄」だっていないと決めつけることはできないだろう。「翁魚」もオランダ人の書物にあるのとよく似ていて、やはり蝦夷の海にいる。このことはよく知られている。
 「剌加而大」のことを、通訳をとおしてオランダ人に聞かせたところ、蝦夷の話よりもっと恐ろしいことがあるのがわかった。
 この獣は、遠方の者を引き寄せようと、人の泣き声を真似るというのだ。誰か泣いていると思って近寄ったところを、たちまち噛みついて喰ってしまう。また、自分のよだれを地上に垂らしておく。それに人や獣が滑って転んだところを、そのまま喰う。
 なお、「剌加而大」の眼は水中ではどんよりしているが、水を出るとぎらぎらと光り輝く。冬はものを食わず、また、口中に舌がないそうだ。
 このことは、蝦夷人にも聞かせておきたいものだ。さらに、蝦夷で呼び名があるのなら、聞いておきたいと思う。

 その昔、蝦夷のウラカワで獲れた一角獣は、松前の北川某が江戸に持ってきた際に見たという人がいる。
 これも「タシベ」の類か、または『六物新志』にくわしいクルウンラントの「ウニカフル」の類だろうか。いまだはっきりとわからない。
あやしい古典文学 No.350