森田盛昌『咄随筆』中「蛇茸となる」より

蛇がキノコになる

 笠松新左衛門は年少の時、脇坂淡路守殿に小姓として仕えていた。慶安年間のころである。
 以下は、その笠松新左衛門が語ったことだ。

 ある時、淡路守殿はキノコ狩りに出かけ、小さな神社のあるところで休憩をとられた。
 幕をめぐらせて毛氈を敷き、一同が休んでいたところに、大きな蛇が現れて、そこらを這い回った。するとまたそこに、三歳児ほどもあろうかという大きなヒキガエルが来て、蛇の回りを巡った。
 蛇がきりきりととぐろを巻き、鎌首をもたげると、ヒキガエルはそれに四方から木の葉をはねかけた。木の葉に埋もれて、蛇の形も見えなくなったとき、ヒキガエルは上に登って小便をし、また降りて脇に這いつくばった。
 やがて、木の葉の山がむくむくと動いた。ヒキガエルが木の葉をかきのけると、さっきの蛇は大きなキノコに化していた。
 ヒキガエルはそのキノコを喰って、どこかへ行ってしまった。
あやしい古典文学 No.352