『諸国百物語』巻之四「堀井弥三郎、幽霊を舟渡せし事」より

逆立ち幽霊

 織田信長の家来に端井弥三郎という、文武両道にすぐれた侍がいた。
 のちには備後殿に仕えて清洲城にあったが、犬山城主の子息と深い男色の仲で、夜ごと三里の道を通っていた。

 あるとき、夜更けまでの宿直を終えて犬山に向かった。おりしも闇が深くたれこめて雨降りしきり、ものすごい夜であった。
 道の途中に川渡しがある。渡し守を呼んだが、眠り込んでいるのか返事がない。端井は川端でしばらく休憩し、何となく川上・川下を眺め回していた。
 すると、川上に一点の火が見えた。だんだんと近づいてくる。よくよく見れば女だ。身の丈ほどもある髪をおどろに乱し、口から火焔を吐き、逆立ちになって頭で歩いてくる。
 端井が刀を抜く構えで、
「何者か。」
と問うと、逆立ち女は苦しげな声でこんなことを言った。
「私は川向こうの屋村の庄屋の女房でしたが、夫と妾が謀って私を絞め殺し、この川上に埋めたのです。その際、後の祟りができないようにと、逆さまに埋められました。怨みを晴らそうにも、このように逆さまでは川を渡ることもできません。それで、どなたか勇ましいお武家に渡してもらいたいと、往来する人々を見てまいりました。あなた様ほど剛胆なかたはありません。お慈悲です。川を渡してくださいませ」
 端井は渡し守を呼び、
「この女を舟に乗せて、向こう岸に渡してやれ」
と命じたが、渡し守は女を見るや、櫓櫂を棄てて逃げ去った。
 そこで端井はみずから櫂をとった。女を抱いて舟に乗せてやり、向こうの岸まで渡した。女は屋村をさして飛ぶように速く、頭で駆けていった。

 後をつけて庄屋の家まで行き、門の陰で立ち聞きしていると、
「あっ!」
と内から悲鳴が聞こえた。
 ほどなく女が妾の首を引っ提げて出てきた。端井に向かって、
「おかげで、やすやすと憎い敵を討ち取ることができました。かたじけない」
と言うと、あとかたなく姿をかき消した。

 端井はそれから犬山へ行き、夜が明けてまた清洲に帰る途中、屋村にて、
「昨夜、この村では何事もなかったか」
と問うと、村の者は、
「ございました。この村の庄屋殿は近ごろ女房を迎えられたが、どういうわけだか、その女房殿の首を何者かが引き抜いて持っていってしまいました」
と語った。
 端井はいよいよ不思議に思い、主君に事の次第を申し上げた。備後殿が命じて川渡しの上手を掘らせたところ、予想通り逆さまに埋められた女の死骸が出てきた。
 前代未聞の悪事であると、庄屋は処刑された。
あやしい古典文学 No.355