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平尾魯遷『谷の響』二之巻「蝦蟇の智」より |
蝦蟇の凶器 |
弘化のころの話という。 弘前の一向宗真教寺の院主が庭を散歩していたところ、木陰に蛇と蝦蟇(がま)がいた。蛇が今にも蝦蟇を呑みそうな形勢だったので、蛇を逐って蝦蟇を逃がしてやった。 明くる日にも同じところで蛇と蝦蟇が相対していたので、また蝦蟇を助けて蛇を逐いやった。そんなことが三四回続いた。 その後二三日して、庭を掃除していた下僕が大きな蛇の死んでいるのを見つけて住僧に知らせた。 行って見ると、死んでいる蛇の腹が盛り上がってうごめく様子だった。下僕に腹を割かせると、中から先に何度か助けた蝦蟇が生きて出てきた。その手には、三センチほどの尖った鉄釘が握られていた。 僧も下僕も蝦蟇の知恵に感心したと、これは玄徳寺の住職が物語ったことである。 これとよく似た、知人の八木橋氏の話がある。 同じように庭に蛇と蝦蟇がいて、蛇が蝦蟇を呑もうと大口をあけて向かっていった。すると蝦蟇は手を挙げて、蛇の頭をポンと叩くようにした。蛇は首を縮めて後退した。 しばらくしてまた、蛇は蝦蟇を呑もうとしたが、やはり頭をポンとやられて後退した。 これを何度も繰り返すうち、ついに蛇は頭から血を流しはじめた。 不思議に思って、蛇を逐いやり蝦蟇を捕らえて調べてみると、手に二センチ足らずの鉄釘を隠し持っていて、その釘の先は針のように尖っていた。 なんとも怪しい知恵があるものだと、八木橋氏は語った。 |
あやしい古典文学 No.358 |
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