『諸国百物語』巻之五「大森彦五郎の女房、死してのち双六をうちに来たる事」より

双六を打ちに

 丹波の亀山に、大森彦五郎という三百石取りの侍がいた。この人の内儀は評判の美人だったが、難産で亡くなった。
 彦五郎の嘆きは並大抵でなかった。また、内儀に七歳の時から使われていた腰元がことのほか悲しんで、七日の内に殉死しようとすること十四五度に及んだのを、皆がやっとなだめて、それからはや三年が過ぎた。
 一門の者が寄り合って意見し、彦五郎に後妻を迎えさせた。
 後妻はよく道をわきまえた人で、先の内儀のために毎日の回向を欠かさなかった。先の内儀もさぞ草葉の陰でお喜びだろうと、世間の人は噂した。

 その先の内儀であるが、存生のとき双六が大好きで、かの腰元といつも双六を打っていた。死後も執心が残ったのか、じつは夜な夜な亡霊として来て腰元と双六を打っており、それが三年に及んでいた。
 ある夜、腰元が言うことには、
「このように遊びに来られるようになってから、もう三年になります。わたしは七歳の時から可愛がっていただいて成人した身ですから、いつまでご奉公いたしましてもご恩返ししきれません。けれども、今は新しい奥様がいらっしゃいました。もしもこのように毎晩おいでになることが知れましたら、きっと嫉妬で迷い出たと思われます。ですから奥様、どうかもう今夜限り、おいでにならないでください」
 先の内儀はそれを聞いて、
「そうねえ。おまえの言うとおり、まさか双六に執心が残って出てきているとは、人は思うまい。わかった。今夜限りもう来ないことにするよ」
と言って帰っていった。

 後に腰元がこの話をしたところ、彦五郎夫婦は、
「知らなかった。そうだったのか」
と、双六盤をこしらえて先の内儀の墓の前に供え、ねんごろに弔ったという。
あやしい古典文学 No.360