井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻三「因果のぬけ穴」より

因果の抜け穴

 槍持ちに乗り馬を引き連れた家中随一の使者役、大河判右衛門は、その風儀を見習うべしと称えられたほどの人物であったが、武士の身の上ほど定めがたいものはない。
 昨日、郷里の豊後の国から判右衛門に手紙が届いた。
 見れば女の筆跡なので、不安な胸騒ぎがしつつ開けてみると、兄嫁が書き送った手紙であった。
「夫 判兵衛殿はこの十七日の夜、妙福寺の碁会にて、ちょっとした助言が元で諍いの末、寺田弥平次に討たれました。弥平次はすでに当地を立ち退いております。わが夫婦には子もないゆえ、あなた方のほかにたよる人はありません。私は女の身で、どうにもならず……」
と、悲しく綴られていた。
 そうと聞いては是非もない。ただちに主家に暇を乞うて浪人となり、一子 判八を伴って江戸を出立した。

「弥平次は殿様が特にお取り立てになった者だから、深くかくまわれているはずだ。やすやすと討つことはできまい。しかし、かねがね聞くところでは、但馬の国の村人に親類があるという。おそらくそこに隠れているだろうから、われわれも行って探索しよう」
 判右衛門父子は急ぎ但馬に下った。
 隠密に探ってみると、思ったとおり、立派な門構えの百姓屋敷が二重の垣をめぐらし、浪人を大勢かかえ、番犬も何頭か飼っている。夜は油断なく拍子木を鳴らして見回りし、何かあればただちに目を覚ますように備えていた。
 ある夜、雨風激しく、しかも闇夜であったから、判右衛門父子はこれが好機と屋敷に忍び込んだ。まず持参の焼飯で犬どもを手なづけると、横手の塀を切り抜き、内壁にも穴を作って台所の広土間に入った。
 その物音を弥平次が聞きつけた。
「何者か」
と言うのに対して、父子は板の切れをくわえ、犬が魚の骨を口にして吠える真似をしたが、
「犬にしては頭が高いぞ。皆々出あえ!」
と呼ばわった。
 用心棒に雇っている若者たちが出てきて騒ぐ一方、弥平次は警戒して前に出てこない。容易ならぬ状態となったので、
「ひとまず引き上げよう」
と、その場にあった鍋釜を提げて行って庭に捨ててから、最初に忍び込んだ抜け穴を通って外へ逃がれようとした。
 ところが、老人の身は思うにまかせない。判右衛門が穴を抜けようとしてもたつくところを大勢の追っ手が両足に取りついて、身動きできなくなった。
 やむなく判八は引き返して、親の首を切り、その首を提げて逃げのびた。
 その後、屋敷の者はあれこれ調べた上で、鍋釜を持ち出していることから『盗人だろう』と判断した。

 判八は、わが手にかけた親の首を持って入佐山の奥深くに逃げ込んだ。
「世の中にはこんな憂き目を見ることもあるのか。仇は討てず、なんの因果か親の首を討つとは。江戸で待つ母上が聞けば、なんと不甲斐ない子かと深く嘆かれるだろう。しかし、一念をかけて弥平次を討たないではおかない。父上、どうかご安心ください」
 父の首に語りかけつつ、木の根もとに首を埋める穴を掘っていると、そこから髑髏が一つ出てきた。
「これはまた、どういう人が、なぜここに……」
 知らぬ同士の哀れな首を二つ並べて埋めると、露草を折って供え、水を手向けた。
 まだ日暮れには遠い。夜になったら人目を避けて里に戻ろうと、塚を枕にしばしまどろんだ。
 すると夢に、さっきの髑髏があらわれた。
「聞け、判八。我は判兵衛の亡霊である。判右衛門が我の仇を討とうとしておまえの手にかかったのは、前世からの因縁なのだ。我は前世にて、弥平次の一族八人の命を理由もなく奪った。その罪を天がお許しにならないことを、今この姿になってはじめてわかった。おまえもまた因果を逃れられぬぞ。だから仇討ちの志は捨てよ。墨染めの衣をまとって、先だった我ら二人の跡をよくよく弔ってくれ。この言葉が偽りでない証拠に、塚を再び掘ってみるがよい。もはや我の髑髏はないであろう」
 目覚めてから塚を掘ると、たしかにかの髑髏がなくなっていた。
 不思議なことであったが、判八は『だからといって弥平次を討たないでおくものか』と、さらに心を尽くした。
 しかし、その甲斐なく、判八もまた返り討ちにあって命を落とした。
あやしい古典文学 No.361