荻田安静『宿直草』巻三「幽霊、偽りし男を睨ころす事」より

睨み殺す幽霊

 摂津の国の茨木に、木綿を商って年に二度ずつ越前に下る商人がいた。
 越前の問屋に気だてのいい下女がいるのに年来目をつけて、男の口説き文句の常なのだが、
「私にはまだ定まった妻がいないのだよ。いつかおまえを嫁に貰って、末永く添い遂げたいものだ」
などと、幾度もしみじみと語った。
 下女は男のまことしやかな言葉が頼もしくて、ついに深い仲になった。
 女の想いは儚いものだ。
 男は商用が済むと、また摂津に帰る。茨木には家もあり妻もあった。

 その年が暮れて迎えた正保三年。白馬(あおうま)の節の翌日の正月八日、男は友人たちを家に呼んだ。
 方引などで賑やかに遊び、夜食を並べ、火鉢を囲んで座って田楽をあぶっていると、突然その場に蛙が一匹あらわれた。
 蛙が出てくる時節ではないのに、と皆々不思議に思ったが、初春なのだから、そんなことも何か縁起のいい言葉で紛らすのが習いだ。
 ところが軽はずみな馬鹿者が一人いて、後先も考えず、
「当家の身代ひっくりカエルってか」
と駄洒落を言った。一同どっと笑ったが、中には『よけいなことを……』と苦々しく思う者もいた。
 亭主の男はむっとして、赤く焼けた火箸を、蛙の脳天に押し当てた。蛙は手足をびりびりと痙攣させて、たちまち死んだ。
「無用な場所にしゃしゃり出て来るからだ。ざまをみろ」
 そう言って、男は蛙の死骸を取り捨てた。

 正月が過ぎて二月の中旬、北陸の雪もむら消えて道も通うようになったので、男はまた越前に下った。
 問屋の夫婦が、
「よくお下りくださった」
と歓迎してくれる一方、なじみの下女の姿が見えない。用があって出かけているのだろうか。
 恋しく思いながら床についたとき、商人仲間の秋田の人が、
「言葉もありません。お力落としでしょう」
と声をかけてきた。
「何のことですか」
「いや、ここの下女のことですよ」
「えっ。もしかして、死んだ……」
「そうです。知らなかったのですか」
「なんてことだ。かわいそうに」

 翌日、問屋の内儀が話してくれた。
「正月八日の晩のことでした。あの子に茶を点てさせながら、『茨木の人もこの二月にはお下りだよ。もうすぐだ。待ち遠しかろう』などと冗談を言うと、『はい、待ち遠しいんです』と笑っていましたが、ふと居眠るようにしていたかと思うと、『あれっ!』と叫んで倒れました。その様子が、蛙を踏み殺したみたいに手足をのばして、びりびりと震えて、……そのまま息絶えてしまいました。
 突然のことであまり心残りですから、その後もいろいろと手を尽くしましたが蘇えらず、卒中という病気だろうという話になりました。髪を剃って沐浴させたところ、頭のてっぺんに焼き金を当てたみたいな跡がありました。とりわけ可愛い子でしたし、あなた様にとっては深くなじんだ者ですから、さぞや不憫にお思いでしょう」
 さては、例の蛙は女の魂だったのだ。
 むごいことをした、可哀想なことをしてしまったと、男は断腸の思いで、銀十銭を寺におくり、所用を済ませて茨木に帰った。

 その年の九月、男は体調を崩してしばらく寝込んでいた。
 男の家は、表は町の通りに面し、裏は畑で、泥棒を防ぐ塀もなく風よけの袖垣もない、ごく粗末なあばら屋であった。裏に窓があったが雨戸はなく、割り竹を組み薄紙を貼って障子としていた。
 ある夜、その窓の障子にあやしい光の影が映った。
 男は起き直り、脇差をとって窓に向かった。横に臥していた妻も、男の気色がただならないので共に起きて、壁の破れ目から外を見た。
 二十ばかりの女が、白装束をまとい乱れ髪で苦しげに立ち、真っ黒な口で息つくたびに火焔を吹き出していた。その火が窓に映っていたのである。
 女は初め畑の中にいた。それが少しずつ近づき、ついには窓から二間ほどに来て、男の方を睨みつけていた。
 その恐ろしさはとても言いようがない。妻は男に寄り添って、
「あれは、何者ですか」
と問うたが、返事はなく、
「はぁ、はぁ、……」
と男はただ溜息ばかりを吐いて、やがて俯しに倒れた。隣近所を起こして気付け薬を与えたりしたが、その甲斐なく死んでしまった。
 睨み殺されたのだ。

 妻は越前のことは全く知らず、後に友達の話から思い当たったのだそうだ。
 ともあれ、いかに女が愚かであったとしても、口先のうまい男が得意顔でたぶらかしてはならない。正直一途に思いつめた女の一念は、かくまでも恐ろしい。
 その執着の罪深さを、どうして贖うことができようか。
あやしい古典文学 No.367