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津村淙庵『譚海』巻之十二より |
オランダ渡来の象の話 |
有徳院 徳川吉宗公の時代に、オランダから象が渡ってきた。 雌雄二頭が来たのだが、長崎で雌のほうが死んだ。そこで長崎奉行が象の皮を剥ぎ、象牙をとろうとした。 象を連れてきたオランダ人が、 「わが国ではそんなことはしない。人と同じように戒名をつけ、ねんごろに葬ってやるのです」 と一生懸命とめたけれども、奉行は聞き入れずに皮を剥がせて、船で江戸に持参しようとした。 しかし船は航海中に浸水して、やっとのことで江戸へ着きはしたが、象皮をはじめ積荷はすべてだめになっていた。 その後、長崎奉行は惑乱して象の真似などするようになり、やがて亡くなった。 生き残った雄の象は、将軍の上覧に入れるために江戸に連れて行かれた。 常磐橋を渡るときに橋板に壊れたところがあって、象の足が踏み抜いたのを、やっとのことで助け上げて登城させたが、以後この象は橋をことのほか恐れて、渡るのを嫌がった。 象ははじめ濱の御殿で飼われ、象使いという者が世話していた。この象使いは象の餌代を横領したので、餌は常に不足していた。 やがて事情を知った象は、象使いを鼻で巻き寄せて身動きできなくしてから、振り上げて何度も石に叩きつけ、ついに打ち殺した。 象は饅頭を好んで食うものらしい。後には四谷の先の中野という所に小屋を建てて飼われたので、見物の人もそこへ行って見ることになったが、数年後に死んだとのことだ。 象は鼻でものを取って食う。人が手でものを取るのに等しい。 竹の葉も食う。竹を枝ごと投げ与えると、鼻で巻き取ってしごく。そうして葉だけが地に散ってたまると、枝を捨てて鼻で竹の葉を集め、取って食うのである。 |
あやしい古典文学 No.368 |
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