HOME | 古典 MENU |
『巷街贅説』巻之六「蛇体小童」より | ||
蛇体少年 |
||
金太郎が蛇体であるとの風聞を耳にしましたので、内々に面会して確かめましたところ、顔つきは普通でしたが髪の中に両耳があり、脇の下あたりから青々として一面に鱗に覆われ、まったく蛇体であると見えます。 甚兵衛の話によれば、事情は次のようであります。 金太郎の母きそは、甚兵衛の親戚の越後蒲原郡島見村の百姓 三助という者の娘であります。 八年前、三助が国元で破産して、きそを伴って甚兵衛を頼ってまいりました。まもなくきそは奥州田村郡石津村の酒造業 亀太郎方へ奉公に出ましたが、そこで平次兵衛という者と出来合い、妊娠したと申します。 ところが調べてみますと、平次兵衛がきそと密会したという事実はなく、結局だれとも相手がわからないまま、懐妊したきそは亀太郎方から暇をとり、また甚兵衛に引き取られました。 翌年、新立村の百姓 徳右衛門に、事情承知の上ということで嫁にやりました。 まもなく金太郎が生まれましたが、これが成長するにつれて身に鱗を生じ、蛇のごとくに体が固まってきました。魚類や脂気のものを食べると夜も眠れないほど全身が痒く、だんだんと食べなくなり、熱病者のごとく水を好みます。 母親のきそは三年前に病死しました。金太郎はこのように異形の姿に育ち、徳右衛門にとっては実子でないことから、甚兵衛方に引き取って養育しております。 甚兵衛は農業のかたわら薬種業を営んでいて、たびたび江戸へも出てまいります。このたび金太郎を連れて来たのは、もし医者の療治で治るのであれば療養させてやりたいという思いからであります。しかしながら医師に診せますと、これは全く病気によるものではないから療治できない、とのことだったそうでございます。 以上、風聞について内実を取り調べましたので、ご報告申し上げます。
この文書は伊十郎の手代の者から送ってきた。珍しい話なので記しておく。 金太郎は、三月末ごろから両国広小路で見せ物に出た。一時は見物人が群集したが、興行半ばで病みついて死んだとか聞く。 |
||
あやしい古典文学 No.371 |
座敷浪人の壺蔵 | あやしい古典の壺 |