『諸国百物語』巻之三「渡部新五郎が娘、若宮の児に思ひそめし事」より

恋い焦がれて蛇

 鎌倉に渡部新五郎という人がいた。娘が一人いて、十四歳だった。
 その娘が鶴岡八幡宮の若宮に参詣して、そこの美しい稚児(ちご)を見初め、思いつめたあげく恋患いで寝込んだ。
 もう命も絶えようかというときになって、娘は母親に病のわけを告白した。
 両親は、どうしたものかと思い悩んだが、娘の命には代えられない。つてを求め、人を介して稚児の親に結婚を申し込んだ。
 さいわい親が承諾してくれて、稚児は娘のもとに通ったが、なんといってもまだ子供で、こまやかな女の心などよくわからない。娘への愛情は薄く、通ってくることもしだいに間遠となった。
 娘はいよいよ稚児を恋い求め、とうとう焦がれ死にしてしまった。
 両親は涙に暮れつつ、娘の遺骸を火葬にした。遺骨は、いずれ信濃の善光寺に納めるつもりで、箱に入れて一室に安置した。

 一方、かの稚児も、娘の死後に病みついて、看病の手を尽くしても効果がなかった。
 病が重くなるにつれて、だんだんと人が近づくのを嫌うようになったので、不審に思った両親が隙間から病室をうかがうと、稚児は大きな蛇と差し向かいで何やら語り合っていた。
 なんというものに魅入られたのだろう。両親は嘆き悲しみ、僧や山伏を頼んで加持祈祷したが、その甲斐なく、稚児はやがて死んだ。
 遺骸は若宮の西の山に葬った。そのとき棺の中に大きな蛇がいて、稚児の死骸にまといついていたが、そのまま一緒に葬ったのだという。

 その後、娘の家では、遺骨を善光寺に納める時期がきたので、母親が取り出して見た。
 骨は一つ一つみな小さい蛇になり、あるいは蛇になりかかっていた。
 娘の執心が稚児をとり殺したのは、疑いようもない。恐ろしいことである。
あやしい古典文学 No.375