三坂春編『老媼茶話』巻之七「入定の執念」より

入定の執念

 大和国の郡山高市の郡に、妙通山清閑寺という寺がある。そこの観音堂の守り坊主で恵達という僧が、
「観音の夢のお告げがあった」
と言って、承応元年三月二十一日、阿弥陀が原という所に深く穴を掘り、みずから生き埋めとなった。
 このとき、恵達は六十一歳であった。
 塚の中からは以来ずっと、鉦鼓を鳴らし念仏を唱える声が聞こえ続けた。よって阿弥陀が原の念仏塚と名づけ、壇を築くとともに印の松を植えた。その松が年を経て大木となり、卒塔婆も苔むして、露しんしん草ぼうぼうの気配となった。

 ところが、恵達が入定して五十五年目の宝永三年の八月に大風が吹いて、念仏塚の松を根こそぎ吹き倒した。
 村人が集まってあれこれ言い合ったが、その中に小賢しい百姓がいて、
「人には七魂があり、死してのち六魂は体を離れ、一魂が死骨を守ると言うぞ。弘法大師の即身成仏は『末代の不思議』であって、他の凡僧の及ぶところではないはず。ここに入定した僧はどうなっているか、松が倒れたこの機会に、塚を掘りくずして見てみよう」
と言うと、皆は『もっともだ』と手に手に鋤・鍬を持って、石をのけ土を掘り、石棺の蓋を取った。
 棺の中では恵達が、髪も髭も銀の針のようになり、炭の切れ端みたいに痩せ固まった体で、首にかけた鉦鼓を鳴らし、念仏を唱えていた。
 恵達が人の声に気づいて微かに目を開いたので、庄屋の源右衛門が近づいて尋ねた。
「おまえは決定往生(けつじょうおうじょう)即身成仏の願いを立てて、承応の初めに入定した。にもかかわらず、なにゆえ今までこの世に執念をとどめて往生しないのか」
 恵達は応えた。
「私は備前児島の生まれで、七歳のとき同国大徳寺で剃髪し、十九歳の春から諸国を巡って修行して、あの山この峯と霊仏霊社を拝み回りました。高野山へ七度、熊野へ七度、吉野の御嶽へも七度詣で、浅間山で現在地獄を目の当たりに見てから、この世が仮の宿なのを厭い、早く極楽浄土に行きたいと心急ぐようになったのです。入定するときには、話を聞き及んだ人が貴賤を問わず大勢集まりました。数万人が押し合いへし合いしながら私の前に進み寄ってきます。その中に十八九のきれいな娘がひとり群衆を押し分けて来て、私の衣の裾にすがり、ほろりと涙して十念を授けてくれるよう願いました。ああ、私は、そのとき思わず娘に心を奪われてしまったのです。きっとその執心が、いまだに成仏の妨げとなっているのでしょう」

 庄屋は、当時のことを知っている老人に事情を尋ねてみた。老人が言うには、
「あのころ近郷で美人と噂され、そのうえ信心が篤かったのは、米倉村の庄八郎の娘るりと申す者です。幸いまだ存命しておりますから、ここに来させてはどうでしょう」
「よし。その女を呼べ」
 やがて、ひとりの老婆が連れられてきた。白髪をおどろに乱し、目は爛れくぼんで、歯は一枚もない。二重に曲がった腰で杖にすがり、人に助けられてやっとのことで恵達の前によろめき寄った。
「この婆こそ、おまえが入定のときに執念をとどめた米倉村庄八郎の娘るりという美女だ。そのころは十九、今は七十三歳。これを見ても愛着の心があるのか。さあ、妄念・愛執を離れ、すみやかに成仏するがよい」
 恵達は老婆をつくづくと眺めていたが、そうするうち朝日に霜の消えるごとく皮も肉も消え失せて、ひと揃いの白骨ばかりが残った。
 まったく、人の執念ほど恐ろしいものはない。
あやしい古典文学 No.382