大田南畝『半日閑話』巻十六「青山原宿夫殺し」より

青山原宿 夫殺し

 文政元年六月十一日夜のことだ。
 青山原宿に住まいする留守居同心の女房が、主人の寝入ったのを見すまし、かねて用意の白帷子(かたびら)を着し脚絆をはき、蚊帳の内に入り込むと、刀をもって主人の胸元をひと突き、蚊帳を這い出てそのまま様子を窺っていた。
 突かれた主人は驚いて目を覚まし、枕元を見回すと、血刀を手にした女がのぞき込んでいる。慌てて走り出し、戸口を蹴り開いて外に出るところを、また一刀、背後から斬りつけられた。
 斬られながらも走り出て、家主方に逃げ込もうと門まで走り着いた。戸を開ける間もなく女が追いつき、主人の腕を掴んで背から一刀、腹まで突き入れ、えぐった。なおも主人は走ったが、そのとき内臓が飛び出した。

 何の騒ぎかと大家が戸口まで出てみると、血まみれの男が走り込んでくる。これに驚いていると、あとから凄い形相の女も走ってくる。驚きのあまり外に駆け出て、声を限りに近所の者を呼んだ。
 大家の子供らが血刀をふるう女を見て泣き出したので、大家の妻も奥から出てきた。妻はいきなり女に組みついて、何の苦もなく手捕りにし、刀をもぎ取った。
 そこへ近所の者も集まってきて、女を縛り上げた。

 どうしてこんな騒動になったのか。
 女には先に亭主がいたが、今の主人と女が密通し、先の亭主を毒殺したのであった。その時、一生女房として大事にすると約束したのだが、女は四十歳なのに対して主人は二十歳の若さだから、このごろはすっかり飽きて、外に女でもできたらしく、滅多に家に立ち帰らなくなった。
 女は大いに立腹して、先の亭主の仇を討つと号して、この始末に至ったのである。
 さらに、主人には弟が一人いて、女はこれにも密通を仕掛けていた。しかし弟には相手にされず、その怨みからであろう、搦め捕られたおり、
「もう一人殺すはずのところ、逃したのが口惜しい」
と口走っていたらしい。

 主人は手当を施したけれども、数ヵ所にわたる重傷ゆえに、ついに落命した。女は牢に入り、処罰は未だ決まっていない。
 かの大家の妻は、検使の御徒目付より、ことのほかの手柄と褒賞されたそうだ。
あやしい古典文学 No.388