『古今著聞集』巻第十五「千葉介胤綱三浦介義村を罵り返す事」より

下総の犬、三浦の犬

 鎌倉幕府の将軍 源実朝の館に、正月元旦、大名たちが次々と年賀に参上した。
 三か国の守護を兼ねる有力者の三浦義村(みうらよしむら)は、早くから来て、侍の詰所の上座にすわっていた。
 ところが、あとからやってきた下総の豪族 千葉胤綱(ちばたねつな)が、いまだ若輩であるにもかかわらず、多くの人を分け越えて、上座を占めた義村のさらに上席におさまった。
 義村は立腹して顔色を変え、
「下総の犬は自分の居場所も知らないようだな」
と言い放ったが、胤綱は平然として即座に、
「三浦の犬は友を食いますな」
と応じた。

 これは、先に北条氏にいじめたおされた和田義盛がこらえかねて決起したとき、義村は盟友の義盛を裏切って北条に密告、ゆえに和田の一族は壊滅したが、その和田合戦のいきさつを皮肉ったのである。
 まったく、見事に切り返したものではある。
あやしい古典文学 No.392