『諸国百物語』巻之五「栗田左衛門介が女ばう死して相撲を取りに来たる事」より

相撲をとる女

 加賀の前田家の家中に、栗田左衛門之介という知行八百石の武士がいた。
 妻は同じ家中の者の娘で、大変な美人であったけれども、肺結核を病んで亡くなった。
 左衛門之介は深く悲しみ、再び妻を娶ることなく三年を過ごしたが、親類たちが寄り合って相談のうえ、無理に後妻を迎えさせた。尾張の新田六郎兵衛という五百石どりの武士の娘で、十七歳である。

 ひと月後のある夜、左衛門之介は当番で登城し、留守であった。
 妻がこたつで横になっている頭もとに、歳のころは十八九、白い小袖の上に鹿子の小袖を羽織り、練り絹のかずきした女がふと現れた。
「おまえさん、どういうわけでこの家にいるの?」
 いきなり咎められて妻は驚いた。
「そういうあなたこそ、どなたですか」
 すると女が、
「わたしかい。わたしはこの家のあるじだよ」
と応えたので、妻はいよいよ驚いた。
「そんなことはちっとも知らないで、つい先だって当家に嫁いできたのです。お腹立ちはもっともです。左衛門殿は武士の風上にもおけないかた。あなたのような美しい奥方がありながら、わたしを重ねて妻にするとは、なんとも口惜しい。明朝早々に実家に帰るべきと思いますが、女の身ですぐとはいかないこともあります。しばらくはご容赦ください」
 女は、
「そうね。ゆっくり用意して帰ったらいい。ああ、これで満足したわ」
と言って去っていったが、その様子を見送るに、かき消すように失せてしまったのである。

 翌朝、夫が城から帰ってきたので、妻はさっそく、
「わたしにお暇をくださいませ」
と申し出た。左衛門之介は問うた。
「急にそんなことを言うのは、どういうわけなのだ。詳しく事情を話してくれ」
「あなたは、武士とも思えぬ卑怯なふるまいをなさっている。本妻がありながら、それを隠してわたしを迎えるなんて……。さあ、すぐに暇をくださいませ」
「これは思いがけないことを言う。嫁に来たとき最初に話したように、前の妻を三年前に亡くしてこのかた、おまえ以外に妻をもったことはない」
 夫が神仏に誓ってこのように言ったので、妻は、前の晩に来た女について残らず語った。
「それは三年前の妻の幽霊だろう。ほかに思い当たるところはない。このうえは、わしに命をくれるつもりで、この家に留まってくれ。おまえに暇はださない」
 こう言われて、妻は是非なく留まったのである。

 何日かして、また左衛門之介が留守の夜、幽霊がやってきた。
「あんなにかたく約束したのに、まだ帰らないのね。うらめしい」
 今度は妻も負けていない。
「聞けば、あなたは幽霊じゃないの。執念深く迷い出てきたものね。早々に立ち去りなさい」
 幽霊はせせら笑った。
「強気に出たねえ。いいわ。どうしても帰らないというなら、わたしと相撲をとろうよ。おまえが負けたら素直に帰るんだ」
 言うやいなや飛びかかってきた幽霊に、妻も、心得たとばかりに受けて立ち、くんずほぐれつ、互いに譲らず取っ組み合う。その熱闘のさなか、左衛門之介が帰ってきたので、幽霊は消え失せた。

 その後、左衛門之介が留守をすると幽霊が来て相撲をとること五度。相手が幽霊だけに、妻はしだいに痩せ衰え、まもなく病みついて死んでしまった。
 いまわのきわに夫に言うことには、
「幽霊は、あの後もたびたびやって来たのです。恐ろしかったけど、わたしは帰らなかったわ。あなたに命を差し上げる約束をしたんだもの。……でも、もう駄目みたい。実家の両親には、うまく話しておいてね」
 左衛門之介は悲しく野辺送りをすますと、書き置きをしたためて妻の実家に送り、出家して何処へともなく修行の旅に出た。
あやしい古典文学 No.393