井原西鶴『西鶴名残の友』巻一「鬼の妙薬爰に有」より

鬼の妙薬

 道中扇で朝風をあおぎながら、六月の初めに江戸伝馬町より乗掛馬を仕立て、斎藤徳元という人が京の都へ旅立った。
 夏のことゆえ玉の汗を流しながら多摩川を渡れば、さらし布が富士の雪かと思える涼しい風情だ。美保の松原にかかる夕虹は、伝説のとおり天女の帯かと眺められる。宇津の山蔦は青葉であるが、秋の紅葉より先に見るのも趣深い。
 このように旅の日を重ねて、逢坂の関を前にした大津の泊まり。もう京都が間近なのが嬉しく、翌朝は鶏の鳴く頃に急いで食事を済ますと、まだ人の顔もはっきり見えないほど薄暗いうちに出立した。
 大津馬を曳く馬子が、旅人の眠気覚ましにと小唄をうたうのも、酒機嫌らしくておもしろい。

 ようやく京都に入る粟田口の蹴揚の水に至ると、そこには大勢の鬼がいた。
 鬼どもは曳いていた火の車をうちやり、胸が燃える苦しみに悶えあうようにして、懸命に清水をすくって呑んでいる。
 水を呑み終わると、次々に鉄棒を枕に横たわって、
「ああ、苦しい」
と、虎の皮のふんどしをした腰をよじりはじめた。
「もはや命の終わりだ。昔から人が喩えに言うように、鬼は死んだら行くところがない。おお、どうなるんだ俺たちは」
 恐ろしい眼から涙を流し、青息吐息に角をうなだれている鬼どもの姿は、いかにも哀れであった。
 その中で頭が少し禿げて地獄の詐欺師みたいな風貌の、世慣れて分別ありげな鬼が、徳元が薬箱を持っているのに気づいて、馬の前に来てかしこまると、こう言った。
「ご覧のとおり、われらは罪人を苛む地獄の役人でござる。このたび大悪人の人殺しめが成敗になったのを見かけ、皆で火の車を飛ばして粟田口まで迎えに参って、さて試みにと、死骸を一口ずつ食べもうした。ところが思いもよらず死骸は塩漬け。食べ過ごしてひどく咽喉を渇かし、夢中でここの水を飲んだところ、今度は腹をこわしてこの難儀。地獄には懇意の医者もござるが、旅先ではいかんともしがたい。どうかお情けで療治を願いたい」
 
 徳元は『これは普通の療治では駄目だろう』と考えて、塩漬けの死骸を食べ慣れている刑場周辺のカラスを捕らえさせ、それを煎じて呑ませた。
 薬が効いて危ない命を助かった鬼どもは、車を飛ばせ、鉄火を降らせ、
「さらばさらば。このお礼は、あの世にお越しなされた時に」
と声を掛けて去っていった。
あやしい古典文学 No.397