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『今昔物語集』巻第二十三「相撲人大井光遠が妹の強力の語」より |
妹の力 |
かつて、甲斐の国に大井光遠(おおいのみつとお)という相撲取りがいた。大柄ではないが筋骨逞しく、力が強いうえに動きが機敏で、技にたけた力士であった。 光遠には妹がいて、歳は二十七八。姿形の整った、なかなかの美人である。 あるとき、人に追われた男が逃げ込んできて、光遠の妹に刀を突きつけ、人質にとって立てこもった。 下人たちはこれに驚き、光遠のところに走った。 「大変です。かくかくしかじかで、姫君が人質にとられてしまいました」 しかし、光遠は平気であった。 「あの女を人質にとれるのは、薩摩の氏長ほどの怪力だけだよ」 こう言って動こうとしないので、しかたなく知らせた下人はまた走り戻ったが、光遠の言ったことに納得がいかないので、壁の隙間から中を覗いてみた。 九月のことで、姫君は薄綿の衣を着ている。片方の袖で顔を隠し、もう片方の手は、刀をさし当てている男の腕を弱々しく掴んでいる。男はおそろしげな大刀を逆手に握って姫君の腹のあたりに押し当て、脚で後ろから抱きかかえるようにして坐っている。 姫君は左の袖で顔を覆って泣いているようだが、さらによく見ると、左手の先は、矢の幹にする篠竹が床に散らばっているのを、手まさぐりしている。指で板敷の床に押しにじると、あの固い篠竹の節が、柔らかい朽木を押し潰すように砕けてしまった。 『すごい馬鹿力だ!』と呆れていると、人質に取っている男もそれを見て仰天したようである。 下人は思った。『兄上の殿が騒がなかったのももっともだ。あの強力の相撲取りでも、金槌で叩いたりしてこそ、篠竹を砕くことができるだろう。姫の力は途方もないものだ。あいつ、ひねり殺されてしまうぞ』 人質にとった男も思った。『刀で突こうにも、突けるもんじゃない。この女の力なら、おれの腕を握り潰してしまうだろう。それどころか、体ごと打ち砕かれてしまう。いかん、逃げよう』 隙をうかがい、人質を捨てて走り出た。懸命に逃げたが、大勢に追われて、押さえこまれ縛られてしまった。 男は光遠の前に連行された。 「おまえ、なんでまた人質を捨てて逃げたのだ」 光遠の問いに男は応えて、 「追いつめられていたものですから、普通の女のように思って人質にとったのです。ところが、ふと見ると、大きな矢の幹の節を、朽木みたいに砕いておられるじゃありませんか。この力にかかったら腕を折り砕かれてしまうと思って、とにかく逃げ出したのです」 光遠はあざ笑った。 「そうとも。あの女を突くことなどできっこない。突こうとした腕をねじって上に突き上げられたら、肩の骨ごと、もげてしまうぞ。よくもまあ、おまえの腕が抜けずにすんだことだ。なにかの宿縁があって、妹がそうしなかったのかもしれん。この光遠だって、おまえを素手でひねり殺してみせよう。腕をねじって打ち伏せ、背中や腹を踏みつけたなら、おまえは生きていられない。ところがあの女は、光遠二人分の力を持っているんだ。見た目は華奢だが、おれが戯れに触れた腕をちょっと掴まれると、それだけで力が抜けて手を放してしまう。あれが男だったら、向かうところ敵なしなのに、惜しいことに女なんだなあ」 この話を聞くに、男は半分死んだような心地であった。 「普通の女のつもりで、よい人質をとったと思っていました。そんな御方とはつゆ知らず……」 泣く泣く詫びるので、光遠は、 「あんな真似をしたおまえだから、本来なら殺すところだ。しかし考えてみれば、妹が危ない目にあったというより、この場合おまえが命拾いしたのだから、あえて殺すこともあるまい。なあ、よく聞け。あの女はな、鹿の角の大きなのを膝に当てて、あの細腕で枯木を折るようにへし折ってしまう者だぞ。ましておまえなんか、問題にならないのだ」 と言って、男を追い逃がしてやった。 実際とんでもない力をもった女がいたものだと、語り伝えたのである。 |
あやしい古典文学 No.399 |
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