平尾魯遷『谷の響』一之巻「河媼」より

川の老婆

 岩木川上流の雌野沢の木こりたちは、山で伐った薪を流して弘前に送るために、川のところどころに塞柵(やらい)というものを造る。
 番館村の川辺にも塞柵が一箇所設けられるが、これは村の端の「河童とろ」という淵を少し避けて造るのが長年のならわしで、今なおそうしている。

 弘化四年八月の、月の明るい夜のこと。番館村の塞柵の小屋の内で、
「わしの子供らがたいそう世話になり、おかげで皆つつがない。村の衆にひと言礼を言いに来た」
と声がした。
 木こりたちは驚いて、誰だろう、とあたりを見回したが、それらしい何者の姿もない。ただ底知れずうらさびた老婆の声の余韻だけが残っていた。
 さては、これが話に聞く「河媼(かわうば)」というものか。木こりたちはぞっと戦慄して、もう眠ることができず、火を焚いて夜を明かしたという。

 村の年寄りによれば、河媼は、昔から河童とろに棲むと言い伝えられる老婆である。
 五六十年前までは里に出て来て、先のように礼を言うことがたびたびあったから、不思議に思う者もいなかったが、その後は里まで来なくなった。木こりの小屋にだけ五六回来たことがある。
 やって来ても、食物を貪るわけでも人を害するわけでもなく、礼を言い終わるとそのまま帰ると見えて、繰り返し来ることはないそうだ。
あやしい古典文学 No.404