『雲萍雑志』巻之三より

餓鬼が憑く

 伊勢から伊賀へ越える道でのこと。一人の男が私に追いすがって、こんなことを言った。
「わたしは大阪の者です。途中の道で餓鬼に憑かれたものか、ひもじくて一歩も歩けないほどです。まことに難渋しておりますので、何か食い物をお持ち合わせなら、少しでも分けていただきたく……」
 変なことを言う人だと思いながら、旅の途中でこれといって食糧の持ち合わせもなかったが、刻み昆布を少々持っていたので、
「こんなものでもよろしいか」
と言って渡すと、大変喜んで、すぐさま食べてしまった。
「餓鬼が憑くとは、どんなことなんですか」
と尋ねると、男は応えた。
「目には見えませんが、このあたりに限らず、あちこちであることです。路傍で餓死した乞食などの怨念が残って餓鬼となったものなのか、通行の者に取り憑くのです。これに憑かれると、とにかくむやみに腹が減って体の力も気力も抜けて、歩くこともできなくなります。わたしなどは、たびたびそんな目に遭っていますよ」

 この者は薬種商で、注文をとって諸国をめぐり、旅から旅の暮らしなのだという。世の中には、この者の言うようなこともあるのだろうか。
 後日、播州の国分寺の僧に尋ねたところ、
「拙僧も、まだ若輩のころ、伊予で餓鬼に憑かれたことがあります。以来、諸国を行脚するおりには、食事のたびに飯を少しずつ取り置き、紙などに包んで袂に入れております。餓鬼に憑かれたときの用心です」
とのことだった。
 なかなかに理解しがたいことである。
あやしい古典文学 No.410